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「自然主義」と呼ばれたもの達―失われた近代を求めて2 [著]橋本治

[評者]赤坂真理(作家)

[掲載]2013年06月02日

[ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■「外来の流行」あてはめた不幸

 あなたが外国語に堪能で、最近は日本語のほうがおぼつかないくらいだ、とする。それでも、故郷の信州の風景とそこで育んだ「私」の心情を書きたい衝動が内に湧いたとき、外国語では決して触れられないものを発見するはずだ。
 これが、現代日本語そのものの生成過程だったと知ると驚く。母国語そのものが、そういう渇きや不備を抱えていて、その解消に、ある人々が苦闘した時代が、ほんの百年ほど昔にあった。そしてそのことを、今の私たちはなんにも知らないし、教えられない。
 だから橋本治が、書かなければならなかった。
 日本は長らく、公文書には漢文つまり中国語を使い、日本固有の物語を著すのには、漢字を音で一字一字当ててみたり、やがて仮名との「和漢混淆(こんこう)文」をつくったり……と、書き言葉と話し言葉は長らく一致しなかった。「翻訳」ではなく「訓読み」というかたちで、異物を異物のまま内化しつつ、常に生成途上のような言語とともにあり、ようやく言文一致体を手にした。
 日本という国は、何かへの内発的欲求と、外部状況に巻き込まれた否応(いやおう)なしの変化とが、一緒にやってくることが多い。そのため「新しい文体」も「新しい物語」も、名付ける言葉は内側からは出てこずに、「自然主義」と外来の流行概念をあてはめるしかなかった。だから「自然主義と呼ばれたもの達(たち)」であり、それは一種の不幸である。こういう不幸は日本の至るところにある。憲法だって、そうである。こういうことが空前の規模で起きたのが、明治という時代だったとは言えるだろう。私たちはまだ、そのつけを払っている。
 これは、日本語と、それで表される物語に関する本であると同時に、すぐれた歴史書である。本当は、こういうことが学校で教えられなければいけない。
    ◇
 朝日新聞出版・2310円/はしもと・おさむ 48年生まれ。作家。『巡礼』『蝶のゆくえ』など。

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