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旅立つ理由 [著]旦敬介

[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)

[掲載]2013年06月02日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■旅の醍醐味、粋に描いた短編集

 旅をテーマにした本を手に取るには、特別な気力を振り絞らねばならない。
 旅というものは、本来実にわがままな娯楽にすぎない。異郷の地について知るのだったら、定住までの記録や専門知識にのっとった調査による紀行文を読むほうが格段におもしろく外れが少ない。しかしそれらは、純粋な旅の記述とはちょっと違うものだ。
 旅人は、異国の地でほどよく初心者であってほしい。そして、購(あがな)って得る対価以上の「なにか」は、求めずして偶然に降ってくるからこそ、響くもの。だからこそそういう出会いを求め歩いていることが透けて見える文を読むと、一気に興ざめる。ついでに言えば旅の自慢もナルシスティックな旅の言い訳も、苦手だ。
 偏屈極まりない読者であることは自覚している。ならば読まなければいいのだが、極上の「旅」が読める機会を逃すのは惜しい。
 タイトルから警戒して開いた本書であるが、旅に出る理由を語るような野暮(やぼ)とは無縁の、実にクールな旅の短編小説集だった。
 国境を越え両替もしないうちに入ったウガンダの食堂。次の国に行くための予防接種。ビールを求めてやっと見つけたザンジバルのバー。
 旅の途上で誰でも出会うような出来事と、人々のなにげないしぐさや会話から、彼らの民族的な流浪の背景を鮮やかに切り取り、読み手をふと浮き立つような切ない気持ちに導く。自分が移動のさなかに味わうあの気持ち。言いたくないけど言ってしまえば、旅の醍醐味(だいごみ)。それが小説全21編にわたって嫌みなく粋に鏤(ちりば)められている。登場する土地に対する知識や語学力、観察眼や人生経験を備えているだけで書けるレベルの文ではない。こんな風に書けたらどんなに素敵(すてき)だろうと、嫉妬も忘れ素直に憧れる。唯一の難点は、旅心に火が点(つ)いてしまうこと。良書の証しとはいえ、困る。
    ◇
 岩波書店・2415円/だん・けいすけ 59年生まれ。作家、翻訳家、ラテンアメリカ文学研究者。明治大教員。

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