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量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 [著]マンジット・クマール

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2013年06月09日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■謎の世界に挑んだ物理学者らの百年

 原子以下の階層を支配する量子の世界。そこには私たちが日常目にする連続的な世界とは異なる不思議な世界が広がっている。例えば電子はある場所で消えたかと思うと、中間地点を経由することなく別の場所に突然現れたりする。この理解しがたい現象の解釈と理論を巡り物理学者たちはこの百年、激しい議論を戦わせてきた。
 謎めいた量子の世界に関する論争は「量子の王」と呼ばれたボーアとアインシュタインという天才物理学者の間の意見の違いに集約される。そしてこの論争の先に、物質の実在に関する哲学的な問いが横たわっていることが明確になった途端、本書のテーマは突如、物理学の枠にとらわれない普遍性をもつことになる。
 ボーアら量子陣営によると、電子や光子などミクロの粒子は客観的な意味で実在しないという。それらは人間の観測という干渉を受けた時にだけ実在するものであり、それ以外の時は厳密な意味で実在しない。過去や未来に実在しているかはあくまで可能性の問題に過ぎない。一方アインシュタインはそれに反論した。観測者がいなくても月がそこにあるように、自然は観測とは無関係に存在している。量子力学の考えは不十分であり、ミクロな自然をも包括しうる統一的な理論があるはずだ。量子力学の立場を認めると世界の根本は無秩序な確率に支配されることになると考えたアインシュタインは、後に象徴的な言葉を使った。神はサイコロをふらないと。
 神はサイコロをふるのか、ふらないのか。この謎が駆動力となり物語は一気に加速する。この問題がスリリングなのは根底に因果律の問題を含んでいるからだ。物事には原因があって結果がある。当たり前だ。しかし量子力学はその因果律を否定したのだ。電子は今そこにあっても過去にあそこにあったとは限らない。過去がそうだったからといって、未来もそうであるかは分からない。だとしたら私たちは何を信じたらいいのだろう? 時間が流れ物質が適切な位置を占めることで世界は構築されているのではなかったのか?
 二人のどちらの主張が現代の物理学界に受け入れられたのか、その決着を明かすのは妥当ではないだろう。ただ論争は彼らの死後も続けられた。有名な物理学者ファインマンは言ったという。「『こんなことがあっていいのか?』と考え続けるのはやめなさい」。なぜならその問いへの答えは誰も知らないのだから。だがそれでも問わずにはいられないのだ。本当にこんなことがあっていいのかと。
 中盤以降の畳み掛けるような構成。落ち着いた語り口。確かな世界観の広がりを感じさせてくれる読後感。完成度の高い読書だった。
    ◇
 青木薫訳、新潮社・2940円/Manjit Kumar ロンドン在住のサイエンスライター。アートとサイエンスを扱う学際雑誌「Prometheus」創刊編集長を務める。共著に「Science and the Retreat from Reason」。

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