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〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険 [著]石橋正孝

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2013年06月09日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■ヴェルヌ対版元、タフな闘争

 ジュール・ヴェルヌの豪華挿絵入り冒険物語は〈驚異の旅〉と総称され、日本を含む全地球、いや宇宙までも舞台とした科学的幻想小説大系である。が、その舞台に、肝心のフランスが出てこない。書いても版元から出版拒否されたのだ。じつはヴェルヌは母国で異質でタフな「出版をめぐる冒険」を繰り広げていた。仏人研究者も驚くほど膨大な原資料を駆使して語られた本書は、ヴェルヌの出版大冒険こそ「驚異の旅」と呼ぶに足るという事実を証明した。
 評者も作家だから版元相手にタフな闘争を行うが、ヴェルヌ作品の版元エッツェルの剛腕ぶりを知って驚愕(きょうがく)し、この有名作家が気の毒になった。あの『海底二万里』を、エッツェルの雑誌に連載した当時ですら、ヴェルヌは版元から月給で書かされる「サラリーマン作家」だったのだ。ようやく1875年になって、それまでの挿絵版の著作権収入を放棄するかわりに、以後出版する挿絵版に関し5%の印税を認められた。
 だが、それは序の口で、新作を書くごとにストーリーやキャラクターに遠慮のない注文が付く。そのために内容修正用の棒組みゲラを別に組んだほどだった、たとえば『海底二万里』の主人公ネモ船長は国籍を変更させられた。当初作者の構想では、ネモをロシアの弾圧に恨みを抱き抵抗する独立派ポーランド人とし、物語終盤でロシア軍艦を容赦なく沈める背景としていたが、ロシアでの発禁を恐れたエッツェルにより、軍艦は奴隷船にネモは奴隷解放主義者に修正するよう迫られる。そんな押し問答の結果、ネモ船長の国籍は謎となった。
 このような横暴とも見える版元の要求や修正は、双方の息子の代になっても継続する。なぜヴェルヌはそこまで譲歩しつづけたのか。これが月へ行くよりも多事多難な仏国出版事情にあり、ヴェルヌ作品の鑑賞法を一新させる有益な示唆を得る。
    ◇
 左右社・4410円/いしばし・まさたか 74年生まれ。立教大学助教。『大西巨人 闘争する秘密』

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