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シッダールタの旅 [著]ヘッセ [構成・写真]竹田武史

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2013年07月07日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 国際

表紙画像

■煩悩と解脱、輪廻の天地を活写

 三島由紀夫氏の死の3日前の電話で「インドには呼ばれる者とそうでない者がいる。君はやっとインドに行く時期が来た」。なにやら呪術めいた言霊に背を押されて1974年にインドに発った。この年に奇(く)しくもこの写真家が生まれている。彼は私がしたようにヘッセ芸術の結晶『シッダールタ』を伴侶にバイクに跨(またが)り、カメラを手に「仏陀との対話」の40日間の旅に出た。私は7度渡印したが、著者の写真が語るような濃密な魂体験には及ばなかった。
 彼のインドを凝視する裸眼は、禁欲的、瞑想(めいそう)的、求道的な隠者ヘッセと、解脱の境を求めて呻吟(しんぎん)するシッダールタを二重写しにしているが、そんな写真は見る者の眼(め)を浄化する力を宿している。
 著者はインドの早朝、生きとし生ける万物が眠りから覚め、プラーナの霊気が辺り一帯を支配し光の粒子と混じる頃と、日没の長い影が夕闇の中に姿を晦(くら)ますのを待ちかまえるかのように、どこからともなく聞こえてくるアリ・アクバル・カーンのラーガの楽曲に導かれ、夜の帳(とばり)が天と地をひとつにする瞬間をカメラにより見事に活写する。
 そんな静寂の中、「女が何であるかまだ全く知らない愚かな沙門(しゃもん)」であるシッダールタは快楽を求めて美妓(びき)との性愛の陶酔へと下降していく。古代インドでは人生の三大目的のひとつに性愛(カーマ)を通した解脱の道を説く。著者はこの性愛をカジュラホの性愛像の写真で説明するが、シッダールタの快楽と苦悩の狭間(はざま)で魂が裂かれようとする、愛なき性愛の描写に他に如何(いか)なる表現があろうか。
 灼熱(しゃくねつ)の下、瞑想的で宗教的なインドの静寂と反対に、喧噪(けんそう)と悪臭、人と物の過密空間の中で沸騰する人間の欲望。これもインド時間だ。輪廻(りんね)と涅槃(ねはん)、煩悩と解脱を分かつのではなく、これらを一体化する時、シッダールタは老いを前に生死の時間の束縛から脱するのだった。
    ◇
 高橋健二訳、新潮社・1575円/たけだ・たけし 74年生まれ。写真家。文化、歴史をテーマに旅のルポを手がける。

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