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少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか [著]須川亜紀子

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)

[掲載]2013年07月07日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 社会

表紙画像

■日本生まれの強く可愛い魔女

 日本の魔法少女物アニメ番組は、過去40年以上にもわたり放映されているという。少女メディア文化において、これは世界的にも稀(まれ)なケースだと筆者は指摘する。西欧では魔女は成人女性の力、美、知の象徴であり、それゆえ恐怖の対象として描かれてきた。たとえ善き魔女が描かれても、「奥様は魔女」のように白人美女が定番。だが、日本のアニメ世界に輸入されたとき、魔女は少女と合体し、可愛らしく活発な「ガールヒーロー」に変身した。筆者は1960年代から近年までの魔法少女物を分析し、女性へ向けられた複雑な要請と眼差(まなざ)しを鮮やかに解析して行く。
 60年代の「魔法使いサリー」は、あくまでも女性らしさを手放さず乱暴者の男子も静かに諭し、それも無駄であった場合にのみ魔法を行使。最終的には自己犠牲の精神で友人を救う。その姿は、同時代の西欧におけるパワフルな女性の表象とは対照的だ。魔法とは、当初ガールヒーローの過剰な男性化を回避すべく与えられた安全な武器だった。
 もっとも、このような優等生的魔法少女像はその後変遷を遂げる。そもそも、成人女性ではなく少女が好まれる背景には、女性の過剰なセクシュアリティが忌避される日本の文化気風がある。セクシーな女性キャラが大抵敵役なのもその証左であろう。だが、80年代の「魔法の天使クリィミーマミ」は、女性らしさ規範をめぐる葛藤を経て、異性からの承認に依らない自己肯定へとたどり着く。最終回の「優は優だもん!」の台詞は、少女向けアニメ史上に残る名台詞である。後の社会に訪れる承認欲求の問題に、いち早く取り組んだのは魔法少女たちだったのか。90年代の「セーラームーン」や00年代以降の「プリキュア」シリーズに見られる、女性同士の絆と母性の位置づけについての分析も秀逸。強く、可愛く、カッコよく、かくも複雑な欲望を詳解する秀作である。
    ◇
 NTT出版・3990円/すがわ・あきこ 関西外国語大学専任講師。専門はメディアとジェンダー、文化研究。

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