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聖痕 [著]筒井康隆

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)

[掲載]2013年07月14日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■明るいニヒリズムの喪失譚

 1973年、5歳の葉月貴夫は突如襲われ性器を切断される。彼の神々しいまでの美貌(びぼう)に魅入られた変質者による凶行であった。「聖痕」、貴夫は喪失の跡をそう名づけ、やがて自らの存立基盤として受容していく。石油危機の年に開始されたこの喪失譚(たん)は、高度成長という高揚感時代の終焉(しゅうえん)を示唆する。東京タワーのごとく高く、新幹線のごとく速く。これらの欲望を実現させてきた高い成長率は、たしかにこの年失われた。だが人々の欲望はなおもいきり立ち、拡大し続ける。日本人にとって73年とは、欲望とそれを可能にしていた条件とが分裂し始めた年であったのだ。
 やがて貴夫の美しさは、男女問わず周囲の人間の欲望を喚起し、運命を翻弄(ほんろう)していく。一方、他人の欲望を理解できない貴夫は、芸術表現にすら下等な性欲衝動を感じ、興味を抱かない。自己表現への根源的欲望も欠落しており、唯一純粋な美を感じるのは美食のみ。幼児期の口唇期的快楽が純粋培養されたかたちだろうか。貴夫は、まるで実験動物を観察するように他者の欲望を観察し、淡々とその媒介者となる。その姿は、清らかなメフィストフェレスだ。バブル期も、リーマン・ショック以降もそれは変わらない。唯一衝動的に行動したのは3・11。ボランティアとして被災地に赴き、偶然、聖痕を刻んだ犯人と再会するが……。
 読後感が恐ろしい小説である。あらゆる暴力は予測されたような連鎖を生まず、ことごとく鎮静が訪れる。この明るいニヒリズムは、欲望の沸点が低下した現代社会を象徴するかのようであり、甘美な安楽死への誘(いざな)いにも見える。時代に先んじて性/生への欲望の完全な不在を体現した貴夫は、両性具有ならぬ無性の天使である。末尾に語られたように、私たちは滅びへと向かいつつあるのだろうか。だとすれば、貴夫は人類に遣わされた神の究極の鎮痛剤かもしれない。
    ◇
 新潮社・1470円/つつい・やすたか 34年生まれ。作家。『聖痕』は2012〜13年、朝日新聞に連載された。

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