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江戸の風評被害 [著]鈴木浩三

[評者]三浦しをん(作家)

[掲載]2013年07月21日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■うわさの陰に思惑がうごめく

 テレビやインターネットがない時代は、情報の伝達速度が遅いし、そのぶん噂(うわさ)も広まりにくかったのではないか、と漠然と思っていた。しかし江戸時代にも、噂はかなりの速度で広まったし、なかには風評被害を引き起こすような噂も多々あったということを、本書を読んで知った。
 「蕎麦(そば)を食べると中毒死する」という噂が出まわり、お蕎麦屋さんが商売あがったりになる。「上水に毒が投入された」という噂が流れ、汲(く)み置いた水を捨てたり、「水源からここまで毒が流れてくるのには間があるだろう」と慌てて水を汲んだりと、人々がパニックに陥る。江戸の町は噂に振りまわされ、幕府はそのつど律義に、「大丈夫だから落ち着け」と、お触れを出すのだった。
 「貨幣が改鋳される」という噂も、幕府が否定しても否定しても浮上した。江戸時代は「金・銀・銭」の三貨制だったうえに、江戸では主に金貨が、上方では主に銀貨が流通していたため、両替商がおおいに活躍し、金銀銭の交換レートは刻々と変動した。そのため、改鋳によって金や銀の含有率が変わるとなると、商機ととらえるひとも、損を恐れるひとも出てくる。著者は、貨幣改鋳の噂の背後にある、両替商をはじめとする「市場関係者の思惑や意思」を丁寧に解き明かしていく。
 噂には、景気をよくする効果もあった。「あのお稲荷さんは霊験あらたかだ」と噂されれば、参拝客が押し寄せる。収入増をもくろみ、「霊験あらたか」の噂をわざと流布させるしたたかなものもいた(しかし欲張りすぎ、寺社奉行に摘発されてしまったりもした。残念!)。
 江戸時代も現代と変わらず、噂は流れつづけた。噂はときに、社会や経済を混乱させることもあるが、その陰には、人々の思惑や、漠とした不安や期待が蠢(うごめ)いている。それを読み解くスリルと楽しさに満ちた本だ。
    ◇
 筑摩選書・1785円/すずき・こうぞう 60年生まれ。経済史家。『震災復興の経済学』『江戸のお金の物語』など。

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