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歌舞伎座界隈 [著]藤田三男

[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)

[掲載]2013年08月11日

[ジャンル]社会

表紙画像

■下町の「失われた時を求めて」

 下町とは何かと考えさせられた。そして東京にとって、下町はどのような役割をはたしてきたのか。さらに歌舞伎座にとって、日本文化にとって、下町とは何だったのだろうかと、考えが、ひろがった。
 著者は旧京橋区木挽町一丁目、洋傘職人の家に生まれた。
 山の手と下町、川(隅田川)の向こうと、こちら。われわれは、東京に限らず、都市を対極的原理の抗争の場と捉えるくせがある。たとえば権力対自由、資本対市民。
 著者の描く木挽町は、この二分法を否定し、曖昧(あいまい)で、両義的で、複雑である。木挽町と銀座、日本橋、月島、その微妙な差異が執拗(しつよう)に語られる。言葉すら違った。同じ木挽町の中も、一、二、三、四丁目でニュアンスが異なる。都市とはニュアンスの集合体であり、善の中に悪が、悪の中に善がひそむ、連続的複合体であることが、ディテールと、ヒストリーを通じて語られる。
 著者の描く下町は、空間的に融(と)けあうだけでなく、時間的にも溶け合い、現在の中に過去があり、過去の中に、未来が予見される。その意味で本書は、東京下町版の『失われた時を求めて』である。過去と現在の交錯を描いたテキストといえば、日本版「失われた時」ともいえる吉田健一の『金沢』があるが、著者が装丁者として『金沢』にかかわったことは、偶然ではないと納得した。
 空間的にも、時間的にも複雑に融けあった「木挽町」が、スケールの大きな「異物」——たとえば歌舞伎座、戦争など——に遭遇する時、下町はそのおどろくほどにねばり強い本質をわれわれに見せる。評者は新しい歌舞伎座を10年かけて設計しながら、「劇場」という都市的スケールのハコを、どう木挽町という小さなスケールの集合体になじませるかに腐心したが、この町のねばり強く柔軟で変幻自在な本質があってこそ、歌舞伎座がひきたてられているのだと、あらためて納得した。
    ◇
 河出書房新社・1575円/ふじた・みつお 38年生まれ。編集者。「榛地和」の名で装丁も手がける。

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