書評・最新書評

ドゥルーズの哲学原理 [著]國分功一郎

[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)

[掲載]2013年08月11日

[ジャンル]人文

表紙画像

■相手の考えの奥に潜り込む

 フランス現代思想は難解だ、と我々の多くは考えているはずだ。特にジル・ドゥルーズはその最高峰だ。難しい。
 そのドゥルーズを快刀乱麻を断つごとく、簡潔に読みほどいていくのが若き哲学者・國分功一郎である。かといって、わかりやすい解説書にありがちな“超訳”は一切ない。
 著者はバディウの指摘した、ドゥルーズにおける自由間接話法の多用から話を始める。他者の発言をカッコにくくらず、「と言った」とも受けず、裸のまま地の文の中に置く手法である(この評の冒頭、3行目「特に」以下がそれにあたる。「我々の多く」がそう言うのか、書く私の発言なのか、決定不能になる)。
 すると、評する主体と評される主体は交じり合う。まるで相手の考えの奥に潜り込むようにして、ドゥルーズは対象を思考する。
 その上で、哲学研究は何をするべきか?というドゥルーズの問いを著者もまた問う。そこには著者ならではの「自由間接話法」も働く。問いはどちらのものでもある。
 “哲学者本人にすら明晰(めいせき)に意識されていない”問いを描き出すこと。とドゥルーズは、あるいは著者は答える。哲学研究とは哲学者の意識を超えることなのだ、と。
 こうした原理的な構えから、ヒューム的な主体、フロイトからラカンに至る精神分析的知見、フーコーの権力論を欲望から読み解くことなど、ドゥルーズを巡って難解な用語で語られてきた概念が、徹底的な平易さで説かれる。
 すると、生活から果てしなく遠かった現代思想がここで必要だとヒリヒリ感じられてくる。例えば以下の言葉。
「服従を求める民衆が他の者にも服従を強いる、というありふれた(中略)、あのおぞましい現実」
 これこそ今の日本ではないか。それがさらに「なぜ人は自由になろうとしないのか」と言い換えられて初めて、我々の目は覚める。明るい。
    ◇
 岩波現代全書・2205円/こくぶん・こういちろう 74年生まれ。高崎経済大准教授(哲学・現代思想)。

関連記事

ページトップへ戻る