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破局論 [著]飯島洋一

[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)

[掲載]2013年09月01日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■近代の絶望からの逆説的救済

 一言でいえば、近代とは、大地震と、大革命の「余震」を止めようがない、悲惨で不安定な時代であったと、著者は要約する。
 ここでいう大地震とは1755年11月1日のリスボン地震のことである。6万人が死に、神は人を見捨てたかのようであり、安定した世界が崩壊して、人々は絶望した。その絶望から30年後にフランスで大革命が起き、旧世界はすべての意味でひっくり返った。
 その後の250年、この大地震の余震はおさまらず、大革命の余震ともいえる政治的混乱が連続したと、著者は数々の、一見無関係ともみえるエピソードを連ねる。ああ、あれも「余震」のひとつだったのかと、膝(ひざ)を何度もたたいた。余震としての3・11があり、それすら来るべきさらに大きな破局へのプロセスに過ぎない。
 政治的にもフランス革命の余震は続いているという指摘——レッテルのはりかえだけが永々と繰り返されて、政治的地面はますます液状化しているという指摘は、昨今の政治状況をあまりに正確にいいあてている。
 余震としての疑似革命、複製革命は、政治のみならず芸術にもおよんで、振れ幅はむしろ拡大している。
 ところが本書は絶望で終わらない。最後に突如として状況の反転が示される。画家フランシス・ベーコンの登場によってである。ベーコンは余震の連鎖を、賭博によって、ロシアン・ルーレットによって、昇華した。いずれ、より大きな地震が来て、世界は破滅し、死は避けられないとしたら、それに耐えるための唯一の方策はルーレットである。すべての余震が、すべての革命が、われわれにとってはロシアン・ルーレットそのものであり、世界の本質が賭博であると了解できた時、われわれは逆に救われる。少なくとも絶望による自死からまぬかれる。筆者は、近代を、そのようにして、見事に逆転し、救済する。
    ◇
 青土社・2940円/いいじま・よういち 59年生まれ。建築評論家。多摩美術大学教授。『建築と破壊』など。

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