書評・最新書評

HHhH―プラハ、1942年 [著]ローラン・ビネ

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2013年09月08日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■迷いや不安と共に、歴史を物語ること

 歴史小説と呼ばれるジャンルは、我が国の出版界においても、一大マーケットを築いている。それは事実と関係しているが、しかしノンフィクションではない。歴史小説の作者は、資料や記録を駆使して、過去に実際に起こった出来事を描き出す、あるいは物語る。そう、それもやはり物語なのだ。つまり歴史小説に描かれた「歴史」は、当然のことながら、ほんとうの事実とは違っているし、あちこちに穴が開いている。明らかに出来なかった欠落を、作者は自らの想像力や推論によって埋めてゆく。むしろそこにこそ歴史小説を書く、そしてそれを読む醍醐味(だいごみ)があるのだと言ってもいいかもしれない。
 だが、この小説の語り手である「僕」は、自分にそのような「作者の横暴」を許すことが出来ない。彼が書こうとしているのは、1942年のプラハで実際に起こった、ユダヤ人大量虐殺の発案者にして責任者であり、「金髪の野獣」と呼ばれたナチスの高官ハイドリヒの暗殺事件である。実行犯はチェコ人のヤン・クビシュとスロバキア人のヨゼフ・ガブチーク。2人の青年は当時ロンドンにあったチェコスロバキアの亡命政府によってプラハに送り込まれる。フランス人でありながら、この事件を小説にしようと思い立った「僕」は、可能な限りの調査を尽くして、この歴史上の事件を再現しようとする。だが、すぐさまたくさんの壁が彼の前に立ちはだかる。ハイドリヒという怪物の半生と暗殺計画の経緯は、かなりの部分まで辿(たど)ることが出来た。だが、クビシュとガブチークはどんな会話を交わしたのか、2人の心境はどうだったのか、彼らを助けた名もなき人々の肖像、等々、資料にも証言にも残っていない、だが確かに存在したはずの無数の出来事、いや、「過去」そのものが「僕」を苦悩と逡巡(しゅんじゅん)に陥れる。それでも彼は書き出し、幾度となく脇道に逸(そ)れながらも、なんとか書き続けようとする……。
 この小説の独創性は、何よりも「歴史を物語ること」自体を主題にしている点にある。「見て来たように語る」のが歴史小説家の課題であり権利であるとするなら、「僕」にはどうしてもそうすることが出来ない。なぜならそれは結局のところ嘘(うそ)だからだ。すこぶる感動的なのは、にもかかわらず彼が書いてゆくこと、迷いや不安や怖(おそ)れを隠すことなく、むしろそれらと共に過去に向かっていこうとすることである。そしてこの小説は、最後についに「その日」の一部始終を物語る。それがいかなるものになっているかは、ここで述べるわけにはいかない。だが間違いなく言えることは、それが限りなく誠実で、真摯(しんし)で、繊細で、勇敢な行為であるということだ。読後、震えの来るような傑作である。
    ◇
 高橋啓訳、東京創元社・2730円/ Laurent Binet 1972年、パリ生まれ。初の小説作品の本書で、2010年度ゴンクール賞最優秀新人賞、リーブル・ド・ポッシュ読者大賞。

関連記事

ページトップへ戻る