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境界なき土地 [著]ホセ・ドノソ

[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)

[掲載]2013年09月22日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■無意識と抗えぬ血が湧き出す

 南米チリの作家ホセ・ドノソは前世紀の終わり頃に亡くなっている。作品が日本に紹介されたのは主に70年代のことだったが、他のラテンアメリカ文学者たちほどには人口に膾炙(かいしゃ)されず、どこか通好みの作家という印象が強いのではないか。
 それもこれも、代表作『夜のみだらな鳥』の圧倒的なグロテスクさ、現実の変容ぶり、自由で複雑な語りなどによるだろう。確かにそれは、奇怪な有機体の中へ迷い込んだような錯覚を誘う大長編である。
 今回訳出された『境界なき土地』は、まさに『夜のみだらな鳥』を書きあぐねていたドノソが、その“原稿用紙の裏に”書いたという伝説を持つ。難航する創作の合間にふと浮かび上がった世界を、デッサンするかのように。
 舞台は小さな村の売春宿。訪れる乱暴者や権力者が“ヒロインの家族”を脅かし、魅了し、破滅に導く様が簡潔に、しかしひと筋縄ではいかない屈折の中で描かれている。
 いかにもラテンアメリカ文学の王道的な世界だが、ドノソ作品には他にも『三つのブルジョワ物語』などがあり、そこでは都会的で洒落(しゃれ)た不条理劇が展開する。したがって、今回の『境界なき土地』はドノソの無意識や抗(あらが)えぬ血のようなものが湧き出てしまった短い物語のように見える。
 読みやすく魅惑的な本作はドノソ世界への入り口として申し分のない悲痛さ、ユーモア、暴力性をたたえている。この鮮烈なイメージ群、物語の切れ端こそが、のちに出現するドノソ世界という「境界なき土地」の見取り図ではないかと思わせるほどだ。
 訳者のあとがきによると、同じ「フィクションのエル・ドラード」シリーズで『夜のみだらな鳥』が復刊され、別な出版社からも長編『別荘』が出る予定だそうだ。
 大作を待つ間に、この『境界なき土地』を数度楽しみ、ドノソ世界を経巡(へめぐ)る体力をつけておくことをお薦めする。
    ◇
 寺尾隆吉訳、水声社・2100円/Jose Donoso 24年生まれ、96年没。チリの作家。

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