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「翻訳がつくる日本語」書評 なぜ性別が強調されるのか

評者: 三浦しをん / 朝⽇新聞掲載:2013年10月13日
翻訳がつくる日本語 ヒロインは「女ことば」を話し続ける 著者:中村 桃子 出版社:白澤社 ジャンル:本・読書・出版・全集

ISBN: 9784768479513
発売⽇:
サイズ: 19cm/205p

翻訳がつくる日本語―ヒロインは「女ことば」を話し続ける [著]中村桃子

 現代日本で暮らしていて、「私は賛成ですわ」「俺はかまわないぜ」といった言葉づかいをするひとに、私は遭遇したことがない。
 しかし、日本語に翻訳された外国人の発言(あるいはセリフ)で、過剰な「女ことば」や「気さくな男ことば」、どこの方言だか不明な「ごぜえますだ」といった言葉が使われていても、なんとなく受け入れている。
 日本語への翻訳の際、なぜ、「女性」「気さくさ」「黒人」といった性別、性質、人種を強調するような表現が採られてきたのか。その変遷をたどり、分析研究したのが本書だ。
 「日本語および日本語を使っている人々に、翻訳が与えた影響」という観点が非常に興味深い。我々は日々翻訳物に接しているため、実際にも「女性は女ことばを使っている」ように錯覚する。その錯覚がまた、翻訳家が外国人女性の発言を「女ことば」で訳す原因にもなる。つまり、翻訳表現と日本語は相互に影響しあっている。
 これは私も、おおいに思い当たる。小説を書く際、女性の登場人物のセリフの語尾に、無意識のうちに「わよ」などの「女ことば」を使用してしまい、慌てて修正することがあるのだ。
 「女ことば」を使うと、「話者の性別」を簡単に明確化できるという利点はあるが、現実を鑑みると「リアル」な表現とは言えない。ではなぜ、実際にはあまり使われていない「女ことば」を無意識に書いてしまうかというと、やはり「女性は女ことばを使うはず」という「錯覚・幻想」が、体に染みついているからだろう。翻訳物からの影響ももちろん大きいと思う。
 日本語は日本語のみで完結し成立するものではなく、外国語、そして外国語を「翻訳する」工夫と営みの影響下にあるのだと気づかされる。言語がはらむ差別や権威性の問題をも視野に収めた一冊だ。
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 現代書館・2100円/なかむら・ももこ 関東学院大教授(言語学)。『ことばとフェミニズム』など。