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流星ひとつ [著]沢木耕太郎

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2013年11月03日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■行間に思い広がる、人間・藤圭子の姿

 先日自殺した藤圭子。本書は作家の沢木耕太郎氏がかなり前に、彼女に対して行ったインタビューをもとに書かれた作品だ。
 ことの起こりは34年前。当時、人気の頂点を極めた歌手の藤圭子が28歳の若さで突如引退を表明。沢木氏はその真相を聞き出すため、ホテルニューオータニのバーで彼女にインタビューを試みる。まもなく原稿は書き上げられ、公刊の手筈(てはず)も整ったが、しかし沢木氏は直前になってこの作品を世に出さずに封印したという。
 書き方はきわめて挑戦的だ。この本は沢木氏と藤圭子のカギかっこによる会話文だけが延々と続き、地の文による背景説明や情景描写が全然ない。しかしそれでいて500枚にも及ぶボリュームの原稿が質の高い作品として成立しており、読む者を飽きさせない。駆動力を持たせているのは本音を聞き出す沢木氏の巧みなインタビュー術と、スリリングな文体によるところが大きい。さりげない会話を装っているが、その実、巧みな構成で人間藤圭子の歩みが自然と分かるようになっている。
 ここに描かれている藤圭子は少女のように純真で、前向きであり、時に力強く、だが可憐だ。あきれるほど天真かと思えば実直に一途でもある。彼女は自らの生い立ちから、両親と流しの浪曲師を続けた子供時代、それに芸能界のこと、最初の夫である前川清のこと、恋人たちのことを赤裸々に話す。その流れの中で沢木氏はゆっくりと引退の真相を聞き出していく。そして浮かび上がってきたのはあまりにも真摯(しんし)な彼女の歌への姿勢だ。私は世代的に彼女の歌手時代のことについてまったく知らない。だがその歌への思い、言葉のもつ力のつよさと清らかさには胸を打たれるものがあった。
 封印されたはずの作品がなぜ陽(ひ)の目を見ることになったのか。それはもちろん当の藤圭子が自殺したからだ。とりわけ実の娘である宇多田ヒカルの言葉が鍵となっている。藤圭子が亡くなった時、宇多田ヒカルは彼女が精神的に病んでいたこと、小さい頃からそれを見てきたことを明らかにした。その言葉に衝撃を受けた沢木氏は、自分の知る藤圭子の姿を伝えるため本書を出すことを決めたのだ。
 この宇多田ヒカルの目は、読者にとっても意識せざるを得ないものとなってくる。沢木氏にとっての藤圭子。宇多田ヒカルにとっての藤圭子。その間に一体何があったのか。あれほどまでに輝いていた人間がなぜ自殺に追い込まれなければならなかったのか——。
 この本の外側には、そのような途方もない行間が広がっている。読者がそこに思いをはせた時こそ、この作品が物語として結実する時なのかもしれない。
    ◇
 新潮社・1575円/さわき・こうたろう 1947年生まれ。作家。『テロルの決算』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『一瞬の夏』(新田次郎文学賞)、『バーボン・ストリート』(講談社エッセイ賞)、『キャパの十字架』など。

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