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匠たちの名旅館 [著]稲葉なおと

[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)

[掲載]2013年11月03日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■信頼が生んだ木造建築の奇跡

 日本にこんな宿が残っているということ自体が、一種の奇跡と思えてきた。建築デザイン上の共通点も列挙できる。天井の低さ、柱の細さ、屋根の薄さ、木材の吟味が、美しさに直結している。しかしそれ以上に、建主(施主)と建築家(あるいは棟梁〈とうりょう〉)との間の信頼関係が奇跡を生んだことを知った。筆者は、当事者から、信頼の核心を聞き出すことに成功した。インタビューという形をとらず、多くの場合、宿泊客とおかみ、という関係が会話をなめらかにし、施主と建築家との関係の「質感」が伝わってくる。すぐれた宿には、人と人との特別な信頼関係がある様子に、感動すら覚えた。エピソードの中から、何本もの映画やドラマがすぐにでも製作できそうである。
 信頼とは、一方的なものではなく、お互いに刺激しあい、育てあう人間関係なのだということも教えられた。その相互作用の結果が、空間の豊かさ、サービスの充実という形に結実するのである。
 かつての日本では、建築を作る時、必ずこのような人と人との信頼関係が存在していた。それが日本建築の美と質を支えて、日本建築を奇跡と呼べるレベルにまで上昇させたのである。
 それがいま失われ、日本の景観が壊滅的な状況におちいったのはなぜか。人と人との信頼が失われたからである。良い材料がなくなったからでも、いい職人がいなくなったからでもない。つきあいが組織対組織になって人間が消えてしまった。そこにいい宿は生まれない。匠(たくみ)と施主との信頼関係は、客と宿との信頼関係にまで伝染し、日本の木造旅館という奇跡が生まれた。
 信頼が失われて、日本からいい宿は絶滅しつつあり、日本は観光の最大の武器を失った。文化の核のひとつが消えた。国の大事なエンジンが消えたに等しい。その失われたものの豊かさの秘密が、ここに輝いている。
    ◇
 集英社インターナショナル・2310円/いなば・なおと 作家、写真家。著書に『遠い宮殿 幻のホテルへ』など。

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