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沈むフランシス [著]松家仁之

[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)

[掲載]2013年12月01日

表紙画像

■美しい文体から届く不穏な雑音

 タイトルが謎めいている。沈むフランシス?
 だが冒頭、視界に飛びこんでくるのは、水の流れに運ばれていく人間の体だ。死体? 水に浮かぶこの体の持ち主がフランシスなのだろうか?
 謎を宙づりにしたまま、東京の世田谷を離れ、北海道の安地内(アンチナイ)村という小さな村に暮らす撫養(むよう)桂子の物語が始まる。三十代半ばの桂子は離婚後、ここで非正規の郵便局員として働いている。
 美しい川の流れや木々の葉ずれの音に寄り添われるように配達をするなか、桂子は川岸の木造平屋の一軒家にひとり暮らす寺富野(てらとみの)和彦という同世代の男性と出会う。寺富野は謎めいた男だ。こだわりのある洗練された調度品に囲まれ、趣味はヨーロッパ、アメリカ、日本各地の粋な場所で録音したさまざまな音を高性能スピーカーで臨場感たっぷりに聞くことなのだ。そして少し坂を上がったところのあの木造の小屋。あそこには何が隠されているのか?
 桂子は二度目の訪問ですでに彼に体を許す。二人は恋に落ちる。恋に落ちる? だが物語は桂子の視点から語られるため男が本当には何を考えているのかはわからない。
 低収入で非正規の独身女性と、外国各地に旅行できるほど自分の時間がたっぷり持てる仕事をし、富裕層とでも形容しうる生活を送る男。一見共通点などない二人が共有するのは趣味のよさ、自らの人生にスタイルを与えようとする意志と、様式化された生に対するささやかな満足感だ。
 いま各自がその収入なりに自分の生を〈作品化〉し、幸福を見出(みいだ)そうとするような空気がある。この小説はそうした風土を肯定しているようだ。だが、それ自体スタイリッシュな音楽のような美しい文体の狭間(はざま)からは、プア層である桂子が有閑富裕層である寺富野に都合よく利用されているだけではないかという、我々の時代の底にくぐもる不穏な雑音が確実に届いてくる。
    ◇
 新潮社・1470円/まついえ・まさし 58年生まれ。作家。『火山のふもとで』で12年度の読売文学賞。

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