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動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 [著]千葉雅也

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2013年12月08日

[ジャンル]社会

表紙画像

■繋がり過ぎる時代、あえて留まること

 思想家を論じるには大きく二通りの方向がある。「○○は何を考えていたか」と「○○から何が考えられるか」。もちろんどちらかを選ぶということではなく、両者は分かち難く絡み合っているのだが。前者を「解説と分析」と呼ぶなら、後者は「応用と展開」ということになるだろう。たとえばフランスの哲学者ジル・ドゥルーズであれば、その著作をつぶさに読み込み、別の言葉に丁寧に置き換えてゆくのが前者であり、そこから思い切って離脱し跳躍し、しかしドゥルーズを越えようとするのではなく、いわばドゥルーズと共に新たな思考を始めることによって、ドゥルーズの哲学から何が考えられるのか、いや、もっと踏み込んで言えば、実際にはそうしていなくても、ドゥルーズならば更に何が考えられた筈(はず)なのか、を問うことが、後者の試みの核心だと言える。
 刊行前から各所で話題となっていた気鋭の哲学者・批評家による初の単著は、明らかに後者に属する書物である。ジル・ドゥルーズという可能性を徹底的に押し開くこと。そこで鍵となるのは、書名にもなっている「動きすぎてはいけない」という文言である。今は亡きドゥルーズが、単独で、そして盟友フェリックス・ガタリと共に著した、輝くばかりの書物群に記された思考を簡略に述べることは出来ないが、日本への紹介にかんする限り、それは1980年代前半に浅田彰や中沢新一が主導した「ニューアカ(デミズム)」と密接にかかわっていた。バブル景気へと邁進(まいしん)する時代であり、資本主義と情報化が凄(すさ)まじい勢いで加速していた当時の日本で、「ニューアカ」が魅力的に導入したドゥルーズ(とガタリ)の哲学は、ひたすら動くこと、どんどん変化することへの奨励として機能した。それがドゥルーズ解釈として正しいのかどうかは必ずしも問題ではなかった。ただ、そのように受け取られたのだった。
 しかし、それから30年の月日が過ぎ去り、ドゥルーズもガタリも亡くなり、日本も世界も、その姿を大きく変えた。そこで本書の著者は言うのだ。もちろん動くのはいい。だが、動きすぎてもいけない。そして繋(つな)がり過ぎてもいけない。グローバリゼーションとインターネットに覆い尽くされた社会で、いま新たにドゥルーズを読むこと。その思想を現在形に変換すること。こうして、かつて浅田彰の『構造と力』がそうであったように、本書は鋭利なドゥルーズ論であると同時に、私たちが生きる「いま、ここ」を明視するものになっている。そこでは「中途半端」であることが力強く肯定される。それは過剰と限界の一歩手前にあえて留(とど)まることだ。スリリング、かつジョイフルな哲学書である。
    ◇
 河出書房新社・2625円/ちば・まさや 78年生まれ。立命館大学准教授。フランス現代哲学の研究や、美術・文学・ファッションなどの批評も手がける。本書は博士論文を改稿したもの。

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