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『ユダ福音書』の謎を解く [著]エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング

[評者]赤坂真理(作家)

[掲載]2014年01月12日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■イエスの死に異説、新たなユダ像

 子供の頃、キリスト教は魅惑的で、少し恐怖だった。その素朴で複雑な感情を言葉にすればこんなだ――“拷問されて死んだ男のイメージを崇(あが)めるとは!?”
 イエス・キリストが、ローマ帝国によって十字架につけられ拷問され死んだ。仮にここまでを史実とするなら、「キリスト教」はその死の解釈が核となった宗教である。「イエス・キリストは人類の罪を償うために犠牲となった」「そして復活した」。もしそうなら、人類に罪や苦しみはもうないはずだ。
 が、その考えは実際にはさらなる暴力装置、訳者の言を借りれば〈犠牲のシステム〉とされていった。殉教の称揚は、ひいては王のため国家のために死ぬ者を、尊い犠牲として称賛する。と、そのために進んで命を投げ出す者が現れる。権力者にとって、これほどうまい話もない。
 本書では、二つのことが鮮やかな変容を見せる。ひとつはこの〈犠牲のシステム〉。もう一つが、もちろんユダ像。かの「裏切り者」ユダ。しかし、『ユダ福音書』では、ユダこそ唯一、イエスを理解した弟子である。イエスを引き渡すことによって他の弟子を凌(しの)ぐ存在になるとイエスに告げられる。
 『ユダ福音書』にも「犠牲」の語はある。しかし「霊的変容の文学」のそれとして。
 『ユダ福音書』と響き合うテキストとして引用された詩が美しい。一般には「最後の晩餐(ばんさん)」にあたる場面。そこでイエスは弟子たちの輪の中に入り、こんなふうに吟唱する。「私は、私を知るあなたの鏡」「私は、私を叩くあなたの門」「語る私のなかにあなた自身を見るがよい……」
 本書に出逢(であ)えてよかった。もし今、私たちの心にこうしたイエスが響くなら、多神教と一神教、一神教と一神教、私と彼ら……断絶して見えるものたちの間にも一筋の橋がかからないだろうか。
    ◇
 山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社・2520円/Elaine Pagels,Karen L.King ともに米国の宗教研究者。

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