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あかんやつら―東映京都撮影所血風録 [著]春日太一

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2014年01月12日

[ジャンル]人文 アート・ファッション・芸能

表紙画像

■底抜けに痛快、豪傑映画人たち

 血風録という芝居がかった副題と、表紙の写真に使われた犬吠埼の派手に砕け散る白波が内容をよく表している。本書は65年に及ぶ太秦の東映京都撮影所の歴史を綴(つづ)ったものだが、著者の狙い通り、水滸伝さながらに豪傑映画人たちが躍動する読み応えある歴史絵巻に仕上がっている。
 東映といえば時代劇。同社は戦後間もなく中村錦之助らスターを前面に押し出し黄金期を迎えた。ところがその後、時代劇は凋落(ちょうらく)。すると次は任侠(にんきょう)映画、それが落ち目になると今度は『仁義なき戦い』などの実録ヤクザ映画と当たりそうな路線に次々と鞍替(くらが)えしていった。粗製濫造(そせいらんぞう)で節操も何もなかったわけだが、しかしそれは映画とは大衆娯楽に徹すること、高尚や前衛はクソ食らえという反体制的なエネルギーが満ち溢(あふ)れていたことの裏返しでもあった。ヒロポンを打ってもらう監督や背中に刺青を背負ったヤクザみたいなスタッフ、それに鶴田浩二、若山富三郎といった無頼派の俳優が、そこのけそこのけとばかりに豪快なエピソードをまき散らして立ち回るあたりは、底抜けに痛快だ。
 象徴的なのが脚本作りで、東映では「ヤマ場からヤマ場へ」が鉄則だったという。つまり起承転結の「承」を省き、「転」を続けてごろんごろんと展開させるのが東映の映画作りのやり方だった。面白いのは本書もまたその手法を踏襲していることで、チャンバラ映画を見ているみたいに息をつかせぬ逸話の連続で一気に読まされる。
 全体的にアツい時代へのノスタルジーが溢れているが、執筆の動機はそれだけではなく、近年精彩を欠く東映映画への叱咤(しった)激励も込めたそうだ。しかしその思いが映画というジャンルだけに留(とど)まるはずがない。これはきっと、スマシタ顔のいい子ちゃんやつまらん草食系ばかりが数を増やした、去勢された現代に対する著者からの痛烈な往復ビンタでもあるに違いない。
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 文芸春秋・1943円/かすが・たいち 77年生まれ。映画史・時代劇研究家。『天才 勝新太郎』など。

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