書評・最新書評

呵呵大将 [著]竹邑類

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2014年01月26日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■自由で無邪気、素の三島由紀夫

 三島由紀夫には複数の仮面がある。どの仮面の三島と親交を結ぶかはその人間の資質が決める。相手によって三島は如何(いか)なる仮面をも手品のように着け外しできる。まるで主題によって変幻自在の様式を駆使する画家のように。
 著者は業界で「ピーター」の愛称で呼ばれ、多くの仲間からその人柄と才能を愛された振付師であった。そんなピーターが三島に出会ったのは1960年代の新宿で、当時アングラ文化が若者の時代精神に決定的な核反応を起こさせ、街に祝祭の火を消すことなく燃え続けさせていた、そんなさなかだった。
 2人の邂逅(かいこう)をピーターは「奇跡」と呼ぶが、両者にとって出会うべくして出会った運命なのではないか。本書で見せる三島の仮面はピーターのために誂(あつら)えた特注品であるが、言い方を変えれば〈素顔という名の〉仮面である。ピーターの前での三島は籠から逃げた鳥のように自由で無邪気な子供のようにはしゃぐ。
 本書では顰(しか)めっ面した文学者の顔や社会的立場としての鉄仮面も捨てた素の三島由紀夫がエーテル体のように透明に浮かび上がる。従って三島文学や思想を探ろうとする研究者は肩すかしを食わされるかもしれないが、もし三島が生きていれば俺の精神の裸像は全てここにある、藷(いも)に真意が通じてたまるか、と呵呵大笑(かかたいしょう)する、というのは評者の勝手な推測ではあるが。
 ピーターは色のついた知性を超えた独特の肉体的言語と感性で、無意識のうちに三島から衣裳(いしょう)をもぎ取ってフォルムとしての三島像を彫塑(ちょうそ)して見せた。そんな被写体としての三島を読者は観賞させられているのかもしれない。
 ピーターが三島を追っかけたのではなく、三島こそがピーターの追っかけであったように思える。本書を読みながら久しぶりに彼に会ってみたいなと思ったが、本書を閉じた次の日、ピーターは三島の元に足早に走り去った。
    ◇
 新潮社・1470円/たけむら・るい 42年生まれ。演出家・振付師。昨年12月11日死去。

関連記事

ページトップへ戻る