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白洲正子 ひたすら確かなものが見たい [著]挾本佳代

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2014年01月26日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■型を通してこそ、個性が現れる

 これは白洲正子「論」なのだろうか? 読みながら、白洲正子が触れた日本文化の肌触りを、感じるようになってくる。そのまなざしがとらえたものを、共に見たような気がしてくる。論じているというより、白洲正子の内面に導いていくような本なのだ。「確かなものが見たい」という熱望が、読む者の熱望になる。
 重要なのは「型」であった。著者は白洲が「確かなもの」を見極めようとしたその根幹に「型」の習得があったことに注目する。白洲は能や香道の型を体得することで、そこにのみ個性が現れることを知る。徹底的に型を身体に刻み込み、型が重なって舞となり、舞が重なって能となることを悟る。能では人間が自然の象徴として現れたり、過去を生きた亡霊として現れたりするが、型を通してこそ、そこに個性が出現するとともに、自然と人間の関係にかかわる普遍的なかたちもまた、顕(あらわ)れるのだった。
 個と普遍の両方をつかむ、そして自然に対する畏敬(いけい)の念を顕す、そのための文化の基本となる型を、この社会は捨ててきた。そのことの大きな損失と、そこに由来するさまざまに荒(すさ)んだ心持ちを、改めて考え込んでしまった。
 東京オリンピックの年、白洲は西国三十三カ所観音巡礼の取材を開始する。オリンピックに沸き、新幹線が走り過ぎる日本を尻目に、千数百年の時間をめぐる旅に出たのだ。著書『かくれ里』から立ち上がる集落の記憶も開発とは無縁の土地に通い続けて獲得したものだった。著者はこのことに注目し、白洲の言葉は「人間や集落が自然と折り合いをつけながら生き延びてきた……土地に染み込んだ言葉」だと説く。
 再び東京オリンピックがやってくる。招致や開発や富や軍事力はよその国でも手にできるが、本書が白洲正子から受け取り、次に受け渡そうとしたものは、この国にしかない。
    ◇
 平凡社・1890円/はさもと・かよ 64年生まれ。成蹊大学教授(社会学)。著書『社会システム論と自然』。

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