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〈世界史〉の哲学 東洋篇 [著]大澤真幸

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2014年03月02日

[ジャンル]歴史 人文 国際

表紙画像

■贈与の論理で解く西洋と東洋の違い

 「世界史」と聞くと広大すぎて難しそう、と思うかも知れない。そこに「哲学」なのだから敬遠される題名だ。しかし、それではもったいないくらい面白い。
 なぜヨーロッパはアジアを凌駕(りょうが)したのか? これは様々な人が問うてきた。ダイアモンドやウォーラーステインなど日本で馴染(なじ)み深い論者たちは、まさにそういう問いをもって近代世界論を展開してきた。しかしそれに対抗するアジアの論者はなかなか出て来なかった。自分たちが敗者だから? しかし本当にそうなのか? 歴史学の手法では年代的な因果関係と、その結果としての勝敗があるかも知れないが、哲学として位置づけたとき、視点が違ってくる。哲学は勝敗ではなく論理あるいは構造を明らかにしようとするからだ。
 ではその哲学的思考によって捉えられる西洋と東洋の違いは何か? 著者は「贈与」というキーワードによってそれを考える。東洋における贈与は、中国のような広さへの意志をもつ皇帝権力と、その周辺王国の間では朝貢システムというかたちで現れる。
 一方、多数の自律的な集団で成り立つインドでは、カーストのかたちで現れる。そこにおいては王と不可触民はともに、自然界との贈与関係にかかわる神の子として、上下関係ではなく相補的な関係になるのだ。本書は日本に言及していないが、日本史でもすでに天皇と被差別民についてそのことが論じられていて、同じ構造であることが興味深い。しかし本書の特色は、それをすべて贈与の論理で解いていくところだ。
 本書が参照する範囲は、贈与論を語り続けてきた文化人類学をはじめとして、曼荼羅図(まんだらず)と磔刑図(たくけいず)の対比や、物理学、小説、演劇、ミステリー、そして現代中国の政治にまで及ぶ。身近で馴染みのある素材によって、中国とインドのもののとらえ方が、どのようにキリスト教圏と異なっているかが、次々と分析される。
 本書のもうひとつの要は、「生をどのようなものとして捉えたか」の歴史こそが実在としての歴史を作ったという観点である。そこで参照されるのは仏教だ。食物連鎖としての贈与の連鎖を苦としてとらえ、その社会を許容した上でその外に出ようとするシッダルタに対し、そのような社会に敵対し革命しようとするキリストを、本書は描いてみせる。歴史学なら事実かどうか問題になるが、本書では考察に値するエピソードなのだ。
 贈与とは相互承認であるとともに戦いでもあり、まさに関係そのものだ。それを柱に、名前とは? 文字とは? 普遍概念とは? 等々、絶え間ない問いのもたらすスリリングな興奮が本書の真骨頂だ。
    ◇
 講談社・3360円/おおさわ・まさち 58年生まれ。社会学者。思想誌『THINKING「O」』主宰。著書『社会は絶えず夢を見ている』など。『〈世界史〉の哲学』シリーズは「古代篇」「中世篇」に次いで3冊目。



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