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種痘伝来―日本の〈開国〉と知の国際ネットワーク [著]アン・ジャネッタ

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2014年03月02日

[ジャンル]人文

表紙画像

■日蘭交流で瞬く間に受け入れ

 江戸の蘭方(らんぽう)医がジェンナー式種痘を導入するまでのドラマを、海外からの視点で検証していく点に鮮度が感じられる一冊。牛の病とされた「牛痘(ぎゅうとう)」が、乳牛飼育に使役される男女を通じて人に感染することは、以前から知られていた。ただ、人に出る症状は軽く、回復した後も天然痘に感染しない。ならば予(あらかじ)め人に牛痘を植えて、天然痘を防ぐことができるはずだ。
 ジェンナーはこの発想から牛痘種痘を発明し、それに「牛」を表すワッキーナエなる学名を与えた。これが「ワクチン」の由来である。だが問題は、痘苗を生かしたまま遠方まで運ぶことの困難さである。初期には、未感染の子どもを次々と牛痘に感染させながら運ぶ「人体リレー」の方法すら取られた。
 当時、植民地争いで対立していた列強は種痘伝播(でんぱ)のために協力体制を布(し)き、十年のうちに中国の広東まで伝播させた。残すは門を閉ざし続ける日本国だけだ。ナポレオン戦争中に独立を失っていたオランダは、戦後再開した日蘭貿易船に、バタビア製の痘苗を積んで送る。またシーボルトも着任時にこれを運んだ。しかし長旅で痘苗の活力が失われ、植え付けには失敗する。
 ここで偶然の幸運が作用する。事態が遅滞している間にオランダ商館は、日本人蘭方医との私的な交流網を築き、日蘭辞書の編纂(へんさん)や種痘書の翻訳も実現したのだ。ゆえに、最初の「生きた痘苗」が長崎に到着すると、準備万全となった日本全国へ瞬く間に伝播した。導入に尽力した蘭方医楢林宗建はまず息子らに試し、そこから佐賀藩主鍋島直正の嫡子(ちゃくし)に植えられた。表紙にもなった油絵を見ると、幼い嫡子が堂々と腕を出し、恐れるところなく種痘を受ける姿に驚かされる。ここに子どもと種痘の深い因縁が開示され、「ジェンナーが我が子に試し植えした」との誤解が生まれた背景も納得。読みやすい訳文で興味倍増する。
    ◇
 廣川和花・木曾明子訳、岩波書店・4200円/Ann Jannetta 32年生まれ。米ピッツバーグ大学名誉教授。


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