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0葬——あっさり死ぬ [著]島田裕巳

[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)

[掲載]2014年03月16日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■究極の葬送法で軽やかな気分に

 我々は生命維持に必要であるよりもずっと大量の生物を犠牲にし、摂取し生きている。飽食の果ての最期くらいは、適(かな)うならば山野で人知れず鳥獣に食い荒らされ虫に喰(く)われ腐敗し土に還(かえ)りたい。
 ほぼ妄想、実現の可能性は限りなくゼロに近い死に方である。
 それでも夢見てしまうのは、飽食のツケを払拭(ふっしょく)したい気分の他に、闘病および葬儀で縁者にかけてしまうであろう多大なる負担を極力避けたい気持ちが強く渦巻いているからだ。
 ひとは独りで生きることもできないが、現代では独りで病み死ぬことも、なかなか難しい。親は別として自分の葬儀なんて、簡略どころかなくていいのに。仏教には敬意を抱くも、形骸化した仏教式葬儀習慣に興味はない。
 常々そう考えてきたため、宗教学者である著者が、葬儀/戒名/墓と、不要および低コスト化を説く本を次々と上梓(じょうし)し、仏教界を騒然とさせても、当然の流れと思い、驚かなかった。
 しかしいくらこれらを回避簡略化しても、火葬が義務付けられている以上、遺骨は残る。そこで驚愕(きょうがく)の本書がついに登場。
 遺骨処理で真っ先に思い浮かぶのは、墓地に山海に骨を撒(ま)くなどの自然葬だろう。法的にも認められるようになったが、縁者に強いる負担が難点。やはり基本的には墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)に従い墓所に骨を入れるしかないのか。
 ところが戦後の社会は変化し、都市化によって、墓を持たない家が急増。家墓はもちろん、納骨堂を新たに確保するにも費用がかかる。年間の管理費も必要。高齢化が進み、年金以外の収入が絶えて以降の人生が長くなる分、この費用を捻出できない人が出てきてもおかしくない。
 かくして現在、墓を持てないために骨壺(こつつぼ)に入った遺骨を自宅に置いたままの家が急増、およそ百万柱の遺骨が自宅にあると言われているとか。衝撃の数字である。
 著者は簡潔に日本に於(お)ける仏教式葬儀の歴史を振り返り、ぼったくりビジネス化した葬送の現状が仏教の教えに則していないことを指摘したうえで、究極の遺骨処理方法を提案する。合法でありつつ、これ以上の低コスト化は無理!というその具体的手順は本書を読んでいただきたい。
 遺骨への執着を完全に捨て去るこの方法、受け入れ難い人も多いかもしれない。しかし筆者はこの葬送方法を知ることでとても軽やかな気分になれた。実は大変仏教的な方法なのでは、と思えてならない。自分の遺骨は、自分の中で最後の「捨てられない」と決め込んでいるものだったのかもしれない。
    ◇
 集英社・1260円/しまだ・ひろみ 53年生まれ。宗教学者、葬送の自由をすすめる会会長。東京大大学院人文科学研究科博士課程修了(宗教学)。日本女子大教授などを経て、東京女子大非常勤講師。著書に『葬式は、要らない』『島田裕巳の日本仏教史』など。


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