書評・最新書評

意味としての心―「私」の精神分析用語辞典 [著]北山修

[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)

[掲載]2014年03月23日

[ジャンル]人文 医学・福祉

表紙画像

■言葉による治療、別の物語に変換

 過去に書いた論考や随筆や事典原稿を集めたら精神分析の用語辞典になった。それほど著者は言葉による治療にこだわってきた。
 心のあがき、軋(きし)み、焦り、躓(つまず)き、へたれ……。ひとの心は千々に乱れ、もつれる。やりきれないこと、割り切れないこと、鬱憤(うっぷん)や塞ぎがどんどん溜(た)まってくる。
 そこには「心の台本」というべきものがあり、それを「悲劇やまずい筋書き」として、つまりは失敗や転倒として反復しているうちに、ひどくこじれて問題行動や症状になって出る。
 なぜ何をしてもいつもこうなんだろう……。そんなふうに吐きだされた言葉を聴き、そこに潜む「心の台本」を探り、それをともに読みながらさらに別の物語へと変換してゆく。これが著者のいう精神分析療法の基本だ。
 ただ、それらの言葉とほんとうに言いたいことのあいだには、つねに「変質や変換」の操作がはさまり、あいだにずれや隔たりが生まれる。表と裏、表面と深層の齟齬(そご)がつねにそこにはある。そしてそうした二重性を抱え込んだまま、他人とのコミュニケーションが、自己の理解が進行する。
 が、「ほんとうは……」と語ることじたいが騙(かた)りである可能性はいつもある。意味不明なところ、どうでもとれるところ、在不在のあわいに、ひとはおのれの取り消しがたい思いを込めるからだ。だから読むということが必要になる。
 そういう綾(あや)は、ちょっとした冗談や言い損じ、あるいは言葉遊びや戯れ歌のなかに、曖昧(あいまい)なままに表現されもする。そのすべてが精神医療の対象であり、かつ治療にヒントを与えてくれる。だから著者は長い治療歴をふり返り、日本語こそが先生だったという。
 この辞典には同音異義語がよく出てくる。語源的に根拠があるかないかに関係なく、語は連想を煽(あお)る。そこには病理的な誤解もあれば創造的な誤解もある。たとえば「ち」の項。チは霊/血であり、チチは乳/父である。そして、知、痴、チンチン、チツ、クチ……と連想が破天荒に広がる。が、これらの語、じつはみな精神分析の重要な対象だったのである。
 この辞典から人生指南を学び取るには「羨(うらや)ましい」を、精神科医の仕事を知りたいなら「売春婦」を、考現学として読むなら「なれ」を、哲学的思考の種がほしければ「橋」を、駄洒落(だじゃれ)の深い意味にふれるには「ゆ」の項を、まずはお読みいただきたい。
 治療においても、自分のやりなおしにおいても、「腑(ふ)に落ちる」ということが大事。そのヒントがこの本のなかには詰まっている。霜山徳爾、多田道太郎らが試みてきた日常の基本語からする人間論に連なる書物である。
    ◇
 みすず書房・3570円/きたやま・おさむ 46年生まれ。精神科医・ミュージシャン・作詞家。著書に『悲劇の発生論』『劇的な精神分析入門』『最後の授業』など。「戦争を知らない子供たち」でレコード大賞作詞賞。

関連記事

ページトップへ戻る