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教養としての冤罪論 [著]森炎

[評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)

[掲載]2014年03月30日

[ジャンル]人文 社会

表紙画像

■市民が誤判を回避する方法論

 人を裁くことには責任がともなう。その責任はこれまで職業裁判官が一手に引き受けてきた。しかし裁判員制度の導入によって、一般市民もそれを引き受けなくてはならなくなった。
 これは、もし冤罪(えんざい)が起こったら、その責任も私たち自身が負わなくてはならなくなった、ということを意味する。本書でも述べられているように、冤罪の最終的な責任は捜査機関ではなく、判決を下した裁判官にあるからだ。
 冤罪の責任を負うということは、同時に、それを回避する責任を負うということでもある。では、専門的な司法の知識も経験もない市民はどうしたら誤判を回避することができるだろうか。その方法論を示そうとしたのが本書である。
 本書の特徴は、戦後日本の主要な冤罪事件を分析して、冤罪が発生するメカニズムを俯瞰(ふかん)的にとらえようとしている点にある。個々の事件を細かく論じるのではなく、冤罪はどのような特徴をもっており、どういうかたちで発生しやすいのか、ということを概念として抽出しようとする。「冤罪とは何か」という概念をもつことこそ、市民が誤判を避けるためにもっとも重要なことである、という著者の認識がそこにはある。
 著者はまた、刑事裁判は真実発見の場ではないともいう。犯罪は、科学的真理のように観察や実験で検証することができないからだ。そこにはすでに推論をつうじた「事実」の再構成がある。言い換えるなら、刑事裁判にはつねに冤罪が発生するリスクがあるのだ。それを踏まえることも、冤罪を避けるために必要な姿勢にほかならない。
 本書を読むと、冤罪は私たちが思っている以上に数多く発生していることがわかる。先日も、無実を訴えながらも死刑判決を下された袴田巌さんが48年ぶりに釈放されたばかりだ。それだけ冤罪は私たちにとって身近で、かつ重要な問題なのである。
    ◇
 岩波書店・2730円/もり・ほのお 59年生まれ。裁判官を経て現在弁護士。『司法権力の内幕』『死刑と正義』

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