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私の方丈記 [著]三木卓

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2014年04月06日

[ジャンル]歴史 人文

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■長明の感慨に重ねて想いつづる

 世の中はなかなか変えられない。戦争は悪だと皆が心底憎らしく感じているのに、世界の各所で争いが続き、罪なき人が犠牲になるのを止めることができない。また世の中よりもさらに畏(おそ)るべきは自然であり、3・11では地震や津波の怖さを思い知らされた。磨きあげてきた科学技術は地球のたった何時間かの変化に対応できず、原子力発電の安全神話は崩壊した。
 中世において、出家は容易であった。頭を丸めても生活は変わらない。たとえば甲斐の戦国大名、武田晴信は39歳で出家して信玄を名乗ったが、当主として働くことは旧の如(ごと)くであった。女性・酒・贅沢(ぜいたく)にも十分に親しんだ。
 では社会のありように異議を申し立て、日常と一線を画そうとする行為は何かといえば隠遁(いんとん)であり、鴨長明はその隠遁者であった。彼が生きた時期はまさに激動の世であり、地震・大火・大風・飢饉(ききん)などの災害が猛威を振るった。何年にもわたる源平の合戦があり、貴族が没落し、粗野な武士が力をもった。貴族社会の一員であった長明は、後鳥羽上皇に認められた歌人としての俗世を捨て、京都の郊外に庵(いおり)を結び、自己と対話しながら『方丈記』を著した。
 著者も栄耀栄華(えいようえいが)とは無縁の人生を歩んできた。第二次世界大戦下の満州に暮らし、父と祖母を失って身一つで日本に引き揚げてくる。貧困の中で学生生活を送り、やがて文筆活動に従事する。
 著者と長明の共通点は少なくない。大きな戦いを体験していること、知識人であること、宮仕えを辞したこと、小さな家に籠(こ)もっていること、人生のまとめの時期にあること。彼は『方丈記』を現代語訳することによって掌中に収め、長明の感慨に重ねて想(おも)いをつづっていく。折々の観察と思索が一冊の本にまとめられている。熱さを内包しながらの、静謐(せいひつ)で端正な文章が何とも魅力的である。味読すべき一冊といえる。
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 河出書房新社・821円/みき・たく 35年生まれ。詩人・作家。著書に『K』『北原白秋』『路地』など。

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