「憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜」書評 心の「戦後」を乗り越えるまで
ISBN: 9784905497196
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サイズ: 20cm/341p
憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜 [著]ボリス・シリュルニク
東アジアで国家がいま、政治の道具として語る戦争に辟易(へきえき)していたとき、この本に出会った。個人にとっての戦争には、心の傷とたたかう無数のなまなましい物語がある。
著者はフランス生まれのユダヤ人で、精神科医。本書は、1944年、6歳半で強制収容所へ送られる直前に逃げ出してから、長く続いた心の「戦後」を乗り越えるまでをつづった自伝である。
ポーランド出身の両親は、ドイツに協力したビシー政権下にあったフランスの警察に捕らえられ、アウシュビッツ収容所に送られて亡くなった。彼自身も、食堂の大鍋や輸送中のジャガイモの袋に隠れて非常線を突破し、終戦まで農場や学校の校舎に潜んで生きながらえた。
だが、戦後も心は解放されないまま過ぎていく。「戦争中は命を守るために口に出せないことがある。戦争が終わっても、他人に理解してもらえそうなことしか語れない」。ドイツに抵抗した歴史でつながりあうフランス人を「加害者」とみなしかねない記憶は、心の「地下礼拝堂」にしまいこんだ。
90年代に入り、「空気」が変わる。ビシー政権の高官の責任を問う「パポン裁判」などを通じて、タブーがほどけて歴史の暗部がえぐりだされた。立場はいろいろでも、議論が始まった。本書では触れていないが、背景には「統合」を速める欧州で、歴史が国家の中のつじつまあわせですまなくなったこともある。
そして、著者が心の奥底に凍らせていた言葉を受け止める聞き手も現れた。語ることで「過去の囚人」から脱し、自分を取り戻していく。
邦題は、最終段落の見出しからの引用だ。深い心の傷を抱えた著者が、「憎むのでもなく、許すのでもなく、理解する」境地にたどり着いたのは、聞く力をもつ社会があってのこと。その包容力は、戦争に限らず、暴力の連鎖を抑えるかぎに思える。
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林昌宏訳、吉田書店・2484円/Boris Cyrulnik 37年仏ボルドー生まれ。トラウマに詳しい精神科医。