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市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか [著]進藤久美子

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2014年04月20日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■過去をあとづけ、「可能性」に注目

 1962年生まれの私にとって、市川房枝といえば参院選の政見放送で見た、眼鏡をかけた白髪の女性が浮かんでくる。市川は、全国区から出馬した74年の選挙で2位、死去する前年に当たる80年の選挙でトップ当選を果たした。当時の私には、なぜ無所属の女性がこれほど大量の票を集めるのかが不思議でならなかった。
 その後、市川が大正期から女性の政治参加を求める息の長い活動をしてきたことを知った。自民党の金権腐敗体質が明らかになればなるほど、クリーンな政治を理想として掲げる市川に票が集まったこともわかった。
 しかし本書は、戦中期の市川が満州事変当時は明確に掲げていた反戦平和の主張を貫けず、国策に協力して戦争を肯定してゆく過程を、多くの一次史料を駆使しながら丁寧にあとづけている。そればかりか、市川は晩年になってもなお、満州事変を起こした石原莞爾を評価していたように、自らの態度の矛盾に気づいていなかったことも明らかにされる。
 著者は、こうした市川の過去を告発しようとしているわけでは決してない。むしろ、石原が唱えた東亜連盟に共感し、日中戦争期にも中国の女性との連携を探り続けたことに、ナショナリズムを超えるフェミニズムの可能性を見いだそうとしている。このような、戦争の長期化により摘み取られてしまった可能性のなかに注目すべきものがあるというのだ。
 太平洋戦争の最中にあっても、市川は首相の東条英機と鋭く対立した。女性の徴用は家族制度を破壊するという東条を封建制度から一歩も出ていないと批判し、女性の勤労の必要性を力説した。その批判はやがて、兵役すら女性に負わせるべきだとする主張に行き着くことになる。
 だが、本書を通読して最も心に残ったのは、市川房枝の過去それ自体ではなかった。市川という一人の女性を通してあぶり出された、この国の変わらない男性的な政治のあり方こそを、著者は問題にしたかったのではないか。
 かつて政見放送で見た市川の姿には、岩盤のような日本政治の壁に穴を開けようと孤軍奮闘する生涯が反映していたのだ。いまでも日本の女性国会議員の比率は、先進国中最低水準である。「婦人の事といへば面白可笑(おもしろおか)しく、誇大に報道し、直(じ)きに有名婦人をつくつてしまふ」。本書で引用された、39年3月5日の「婦女新聞」に市川が書いたこの言葉は、依然として少しも色あせてはいない。
 最後に苦言をひとつ。本書は誤植が目につく。人名や地名はもとより、簡単な熟語や句読点の誤りまで散見される。力作であるだけに残念だと思う。
    ◇
 法政大学出版局・1万260円/しんどう・くみこ 45年生まれ。東洋英和女学院大特任教授(アメリカ史、ジェンダー・スタディーズ)。80年、立教大大学院文学研究科博士課程満期退学。著書に『ジェンダーで読む日本政治』『ジェンダー・ポリティックス』など。


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