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女のいない男たち [著]村上春樹

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)

[掲載]2014年05月11日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■祟りのように拡散、喪失の物語

 独断と偏見だが、本書は祟(たた)る。一見そんなおどろおどろしさはなく、むしろ珍しくのし紙をきちんと巻いたような「まえがき」つき。だが紐解(ひもと)くと不定型なパズルである。読み終えると、このように評者までが修辞法なしに文章が書けなくなる呪いを帯びる点が恐ろしい。だが、それは本書の恐ろしさの序章にすぎない。個人的に呪うのではない。類として、読者に祟るのである。
 いずれも女との「適切な」関係を結ぶことに失敗し、相手を永久ないしは半永久的に失った男たちの物語だ。たとえば、妻に不倫された上に先立たれてしまう(「ドライブ・マイ・カー」)、独身主義者が珍しく本気で人妻に恋をするが、彼女が別の不倫相手と去っていく(「独立器官」)、妻の不倫現場を目撃したことをきっかけにすべてを失っていく(「木野」)、といった風に。
 これらの喪失を祟りのように拡散させ、読者に感染させていくのが、最終話「女のいない男たち」だ。「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅(わず)かな予告もヒントも与えられず」と書き出されるこの一節は、個としてあったはずの自己が、あっけなく類へと回収されていく過程を端的に示している。それは、他の物語に綴(つづ)られたさまざまな暗喩——アウシュヴィッツへ送られた内科医や、芦屋生まれで標準語を話す主人公と田園調布生まれで完璧な関西弁を話す友人との交錯した友情など——を経てなお収斂(しゅうれん)しない。「木野」の主人公が蛇に追われ、「レコード・コレクション」や「青山の落ち着いたバー」などの記号を脱ぎ捨て、あたかも村上春樹が村上春樹を脱皮するかのように逃亡する場面もまた、不定型な一ピースだ。パズルは完成せず、物語は完了せず、ただ読後は一切が共振する。「シェエラザード」が暗喩する千夜一夜物語のように。「悪魔払い」だと、筆者はまえがきで語った。字句通り、その通りである。
    ◇
 文芸春秋・1700円/むらかみ・はるき 49年生まれ。作家。カフカ賞やエルサレム賞など海外の文学賞も多く受賞。


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