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山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて [編]服部正、藤原貞朗

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)

[掲載]2014年05月11日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■美術と福祉のはざまにある偶像

 山下清の作品を初めてじっくり見たのは、3年前、長野県茅野市の《放浪美術館》を別用のついでに訪問したときだ。その緻密(ちみつ)、繊細、艶(つや)やかな作品群は、ぼくが漠然と抱いていた無骨で素朴という山下清のイメージを根こそぎくつがえした。さらに驚いたのは、山下清の作品や生涯を俯瞰(ふかん)した手頃な研究書が、美術館の売店でほとんど見当たらなかったことだ。
 なぜ、ぼくは、それまで山下清の作品は素朴だと勝手に決めてかかっていたのか? なぜ、見通しのよい山下清論が書かれていなかったのか? この二つの謎が、以来、喉(のど)にささった魚の骨のようにずっと気になっていたのだが、ようやくこの本によって、それらについての明快な回答が得られた。読み終わって、ぼくはとても満足している。
 山下清は美術界からは「精薄の特異作家」としてまともに相手にされず、福祉の世界では「健常者と対等に渡り合える例外的存在」としてやはり特別視された。美術と福祉、両者のはざまにぽとりと落ちてしまった存在は、両方の世界を俯瞰しなければ定位できず、それはとてつもなくも困難な作業だったのである。
 著者二人はこの難事を、膨大な資料を収集し、丁寧に論述を積み上げていくことでなしとげた。社会に定着した山下清の偶像を洗い直していくその手際は、見事である。
 山下清は鏡のような存在だ。あるときは天才的な狂人としてゴッホになぞらえられ、またあるときは自由に放浪する特異画家、あるいは社会的タブーについても歯に衣(きぬ)着せず発言する《裸の大将》となる。これらのイメージには、語る者たちが障害者を思う姿こそが反映されている。
 本書は、その《鏡》に映る自分の姿を改めて見つめ直す契機にもなる。二〇二〇年にはパラリンピックが東京で開かれる。今から心の準備をしておいても、早すぎることは決してないだろう。
    ◇
 名古屋大学出版会・6048円/はっとり・ただし 甲南大学准教授(文学)、ふじはら・さだお 茨城大学教授(文学)

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