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「九月、東京の路上で」書評 差別への「慣れ」、暴力生む下地に

評者: 荻上チキ / 朝⽇新聞掲載:2014年05月18日
九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響 著者:加藤 直樹 出版社:ころから ジャンル:社会・時事・政治・行政

ISBN: 9784907239053
発売⽇:
サイズ: 20cm/215p

九月、東京の路上で [著]加藤直樹 / ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件 [著]中村一成

 関東大震災の際、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が拡散し、多くの朝鮮人、および朝鮮人と間違われるなどした日本人や中国人らが虐殺された。1923年の出来事だ。この出来事は、災害時の流言の危険性を呼びかけるうえでもしばしば参照される。

 だがこれは、「善良な市民が誤った流言をうのみにしてパニックを起こした」という単純な話ではない。災害という特異な環境のみが流言を拡散させたのでもなければ、流言だけが虐殺を引き起こしたのでもない。日頃から、多くの市民に差別心が根深く共有され、メディアもその空気を助長する報道を繰り返したという環境があってこそ、流言は広く受容され、暴力を生む要因の一つとなった。
 『九月、東京の路上で』は、先行研究や証言集などを整理し、この事例から何を学ぶべきかを解説した一冊だ。軍や警察の関係者も虐殺を黙認し、時には積極的に加担したこと。事件後は司法や政府も虐殺への対応が甘く、加害者への裁きも軽微に済ませがちであったこと。虐殺の参加者が裁かれることに対し、同情的な世論もあったこと。こうした当時の空気感が、立体的につづられていく。類書は数あれど、入門書としての読みやすさは群を抜いている。
 本書のポイントは、同事件と現代との連続性を強調する点だ。虐殺現場の現在の写真を多く掲載していることからも、事件を「遠き時代の惨事」ではなく「身近な前例」として想像してほしいという願いが伝わってくる。なにせ昨今では、この虐殺事件すらも歴史修正の矛先が向けられている。日本人の「加害性の値引き」を試みるその行為は、むしろ日本人への「信頼性の値引き」を加速することになるのだが。
 今、ヘイトスピーチや排外デモを分析する書籍が相次いで出版されている。中でも『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』は、「誰がどう襲われているのか」を知るうえで重要な一冊だ。2009年、「在日特権を許さない市民の会」らが朝鮮学校を訪れ、「スパイの子ども」「キムチ臭い」「たたきだせ」といった罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ、器物損壊を行った。この事件が、児童や保護者、教師や地域に対してどのような衝撃を与えたかを、勢いのある筆致で描写している。
 多くのユーザーは、ネット上での差別的な書き込み・コピペに慣れてしまったかもしれない。だが、その言葉を向けられた者がどれだけの傷を負うかは、本書が克明に伝えている。そうした言辞への「慣れ」がさらなる暴力を生みうることは、約90年前の出来事が示している。この2冊を手に取る人が増えれば、それもまた差別へのカウンターとなるだろう。
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 『九月、東京の路上で』 ころから・1944円 かとう・なおき 67年生まれ。出版社を経てフリー。今作が初の著書。『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』 岩波書店・1944円 なかむら・いるそん 69年生まれ。ジャーナリスト。元毎日新聞記者。