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評伝 バルテュス [著]クロード・ロワ

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2014年05月25日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■秘められた鏡の向こうに…

 画家はその作品において自ら伝記作家になり得る場合がある。バルテュスも作品を通して人生を記録し続けた。一般的に彼は作品の神秘と謎によって人生の秘境を制する孤高の画家と思われているが果たしてそうだろうか。
 もし彼の絵画を覚醒した網膜に映し出すなら、隠蔽(いんぺい)した秘密など何ひとつ存在しないことがわかるはずだ。絵画はその作者以上に正直である。絵画は画家の心の秘密さえ暴く魔力をその本質に有している。従って伝記作家は画家の生い立ちに関与した環境や事実や人物を歴訪する以前に徹頭徹尾、作品の凝視から怠惰であってはならない。作品はすでにその本性を裸出しているからである。
 さて、本書の多くはバルテュスの少年期に言及されている。特に芸術家は少年期にその人格が形成され、その時期の非言語的で不透明な感覚がその後の作品の源泉になるとすれば、彼が執拗(しつよう)に主題にする複数の変奏バージョンこそ彼の内なるアンファンテリスム(幼児性)であろう。児童文学の挿絵や絵本のスタイルの引用、または意図的に素朴で稚拙な表現、そして非西洋的な中国の風景、東方からやってきた奥方、画家の早過ぎる成熟期を彩る性的な戯れを暗示する少女王国の世界!
 この秘められた鏡の向こうの夢幻的、演劇的日常の「スキャンダル性を含みもつ」作品の作家は「快楽の画家」としての世間的「レッテルを定着させる」。だがこのような評価は女性を性的欲望の対象として見る男の視線である。
 むしろ少年期に「アリス」を愛(め)でた少年バルテュスの私的な体験による未知なる女性への憧憬(しょうけい)が、鏡や猫(バルテュス本人)と共にあの灰色の画面の中で永遠の未完を呼吸し続けることだろう。
 四年に一度しかやってこない日を誕生日とするバルテュスをリルケは、クラック(隙間)に入る者は時間の外に出ることに成功すると言った。
    ◇
 與謝野文子訳、河出書房新社・2592円/Claude Roy 1915〜97。フランスの文学者。戦後の代表的知識人。

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