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杜甫のユーモア―ずっこけ孔子 [著]興膳宏

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2014年05月25日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■本物の学者が創り出す桃源郷

 職業を尋ねられるたび、私は慌て、赤面する。「歴史学者、ですね」「滅相(めっそう)もない。ぼくの研究対象は日本の中世だけです。だいたい、ぼくが学者なんて、おこがましい」「じゃあ何ですか?」「中世史研究者ということで」「(面倒くさいなあ)はいはい」
 本書の著者、興膳宏は中国文学の泰斗で、まさに「ザ・学者」である。京都大学に学び、吉川幸次郎・小川環樹に師事。中国文学理論、六朝文学研究の第一人者で、杜甫や荘子にも造詣(ぞうけい)が深い。
 本書は著者が折々に記したエッセイを集めたもの。中心には、自らを微笑(ほほえ)みながら見つめる杜甫と、荘子が描くところの、盗跖(とうせき)(大盗賊)にしてやられる孔子のズッコケがある。文章は平明。悠揚として迫らず、読後感が心地よい。それは一文節・一表現の裏にある教養が分厚いから。分かりやすく工夫された文章のそこここから、学問が溢(あふ)れだす。「学者」の仕事である。
 日本の知識人は、古代から一貫して漢文に親しんできた。漢学者は自在に漢詩を創作したが、その風は昭和にまで及び、本書が紹介する豹軒(ひょうけん)鈴木虎雄(吉川・小川の師)は夥(おびただ)しい量の漢詩を遺(のこ)したという。ところが近年、「英語を学べ」の大合唱のかげで、実益に直結しない漢文の習得は「はやらぬ学問」になってしまった。日本人、とくに若い層の漢文読解の能力は凋落(ちょうらく)の一途をたどっている。
 研究者はというと、以前に比べとても忙しい。大学経営の業務に追いまくられ、能力はあってもなかなか本物の学者になれない。大学は自助努力をせよ、との社会の要求は正しいが、人生を豊かにする人文系の学問を、せちがらく実利で計量するやり方は、いかがなものか。私にはこうした風潮と、漢文学の等閑(なおざり)とが、軌を一にするように思える。
 人文科学に吹く風は厳しい。でもそれだけに、本物の学者が創り出す桃源郷に憩う楽しみは、かけがえがない。
    ◇
 岩波書店・2052円/こうぜん・ひろし 中国文学者。京都大学名誉教授。『中国古典と現代』『杜甫』など。

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