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鄙への想い  [著]田中優子 / 鄙の宿 [著]W・G・ゼーバルト

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2014年06月08日

[ジャンル]人文 社会

表紙画像

■自然と結びつけ思念を生む場

 「鄙」といういささか意味深い語を用いた両書にふれて、知的な広がりを実感する。もともとの意味は単に田舎を指すのだが、田中書は「鄙の本当の存在理由は人を自然界に結びつけ直し、人を『まとも』に育ててゆく力」と見る。私たちは都会が進んでいるかのような錯覚で多くの過ちを犯していると説く。
 ゼーバルト書は、6人の思想家・作家・画家の創作姿勢とその心理の深底にまで入り込んで分析を試みたエッセー。ここでいう「鄙」とはドイツ語のLandhausを指すが、訳者は田舎屋敷といったところと説明する。
 田中書は、日本の過去、現在に何が欠けているか、とくに、3・11後の日本社会を丹念に歩きつつ、「鄙を自然や共同体や祭の根源として捉えられなくなっている」とえぐりだす。徳義を失った政治を嘆き、日本は未(いま)だアメリカの被占領国であり、地方が金もうけの空間に堕し、「競争に勝つことを生き甲斐(がい)とし、勝ち負けだけが価値基準」という人たちが日本社会の指導者層を構成しているのではないか、との指摘は具体的でそして納得できる。今、私たちはどこから何を学ぶべきか。それは江戸学ではないか。江戸という都市、江戸社会の自然との共生、そこから多くの知を吸収できるはずとの訴えも説得力を持つ。
 ゼーバルト書にふれながら、作家・思想家たちが自らの思念を著述するための場との出会いがどれほど大切なのかを知らされる。たとえばジャンジャック・ルソーがサン・ピエール島に逃れて「コルシカ憲法草案」を練る。詩人のエドゥアルト・メーリケは、人生の大半を故郷にとどまったが、その作品のすべてに「流浪のスイス女の影が亡霊のように」ただよう。それもまた鄙が生みだす不可避の感性だったのだ。
 鄙が培う生活規範、倫理を改めて己の信条としうるかと両書は囁(ささや)きかけてくる。
    ◇
 『想い』清流出版・1944円/たなか・ゆうこ 法政大総長。『宿』鈴木仁子訳、白水社・3024円/W.G.Sebald 作家。


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