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「平成」論 [著]鈴木洋仁

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2014年07月06日

[ジャンル]社会

表紙画像

■すべての事象がフラットな時代

 他者に意志を伝えるとき、「高さ」は相当に大事な要素となる。学生や聴衆より一段高いところに立って話す。するとビックリするほど場の隅々まで見通せるのだが、聞き手からの反応は鈍くなる。意見を「申し上げる」体になるためか。一方で、平坦(へいたん)なところから、則(すなわ)ち同一の目線で話しかけると、活発な意見交換が期待できる。ところが今度は全体に目が配れない。声はすれども姿は見えず、である。
 著者は平成を「オレがオレが」の時代、一人一人が主体性を入手して一斉に発言する時代であると捉える。すべての事象は「フラットである」、すなわち秩序なく雑然と横並びに存在するが、これを「平成的である」と評価し、そのさまを的確に描写していく。フラット(平坦)であるものへの適切な対応は、右に述べたとおり、なかなかに困難である。経験的に痛感しているので、著者の腕の確かさには、とても驚かされた。
 私たちが不況のただ中にあることは、何とはなしに合意ができている。ところが「平成不況」「バブル崩壊後」「失われた十年」など、それを表現する言葉は互いに整合性をもてず、議論はかみ合わない。
 他の分野には合意すら見出(みいだ)せない。歴史は冗長になり、文学は拡散し、ニュース報道は「ツマラナ」くなり、批評はレビューにかたちを変えた。それぞれ、いっときはキーワードが立ち現れるが、十分に吟味されぬまま、ひたすら消費され、忘れられていく。
 全体を統合するシステムは、どうやらなさそうだ。それを実生活の中で感得した著者は、高みに昇って分析を試みるのではなしに、フラットであることを選択する。雑踏のただ中に分け入り、身もだえしながら考察を進めていくのだ。そして著者は再び言う。これこそが「平成的」なのだ、と。私には、それはきわめて、誠実な方法と思えた。若者らしい生真面目さに溢(あふ)れた、好感のもてる一冊といえよう。
    ◇
 青弓社ライブラリー・1728円/すずき・ひろひと 80年生まれ。国際交流基金に勤務。専攻は歴史社会学。




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