書評・最新書評

明治の表象空間 [著]松浦寿輝

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2014年07月27日

[ジャンル]歴史 文芸

表紙画像

■時代の言説を横断的に俯瞰

 例えば、福沢諭吉の専門家が樋口一葉の小説にも精通しているというのは考えにくい。日本の学問体系では前者が政治学や歴史学、後者が文学に分類され、大学なら前者は政治学科や日本史学科に、後者は国文学科に専門の学者が属していることが多いからだ。
 だがよく考えてみれば、福沢も一葉も同じ明治という時代を生きていた。既存の学問体系に安住して「個人」の思想や作品を追究するのではなく、一つの「時代」に焦点をあて、その時代に産み落とされた言説を横断的に俯瞰(ふかん)することができれば、「個人」に還元されない「時代」の断面が浮かび上がるはずである。
 言うまでもなく、こんなことを考える学者はまずいない。それが一人の学者の手に負えないことは、あまりにも自明だからだ。ましてや、「前近代」と「近代」がせめぎあい、ありとあらゆる言説が氾濫(はんらん)する明治という時代ならばなおさらであろう。
 松浦寿輝は、50代のすべての時間を、この無謀ともいうべき課題に挑戦することに費やした。742頁(ページ)におよぶ本書には、福沢や一葉のような「有名人」の文章や教育勅語のような有名な公文書ばかりか、警察官の心得や旧刑法の条文や植物園の規則や辞書の項目といった、通常あまり目にすることのない言説までもが次々と引用されてゆく。読者は、これまでに見たことのない時代の一大パノラマが眼前に展開されてゆく現場に立ち会うことになる。
 もちろん著者は、決して無秩序に言説を並べるわけではない。それどころか、明治末期に漱石と鴎外によって確立された言文一致体に「近代」の完成を見る通説に対して、著者は一葉や北村透谷、幸田露伴ら漢文体を骨格とする文章のなかに「近代」の可能性を見いだそうとする。同様に、啓蒙的(けいもうてき)理性を信奉する福沢より、理性を超越する普遍性に向かおうとする中江兆民の思想にもう一つの「近代」を見ようとする。
 その一方で、著者は明治以降に猛威を振るうことになる「国体」という表象について、序章で概観している。しかし著者も認めるように、そもそも「国体」とは言説化しきれない表象であり、「国体」を他の言説と同じ表象空間に配置しようとしても、明らかに限界がある。この点で序章と本論の間には齟齬(そご)が生じているという印象を拭いきれなかった。
 重厚な内容もさることながら、作家、詩人、仏文学者、そして批評家という四つの顔をもつ著者のその場に応じて自在に変わる文体もまた、本書を魅力あるものにしている。読者は深く考え込んだかと思えば、次の瞬間には大声で笑わずにいられなくなるのだ。
    ◇
 新潮社・5400円/まつうら・ひさき 54年生まれ。作家、詩人、仏文学者、批評家。東京大教養学部卒業。同大、パリ第3大で博士号取得。2012年、東京大教授を退任。著書に『冬の本』『半島』『平面論』『知の庭園』など。


関連記事

ページトップへ戻る