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寝そべる建築 [著]鈴木了二

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2014年08月10日

[ジャンル]社会

表紙画像

■いまだ廃墟にもなれない原発

 詩人・立原道造は、建築家でもあった。早すぎる死ゆえに、建てられたものは何もないが、彼が残したわずかな図面や断片的な建築論には、その後の建築史の展開に逆行する「もう一方の方向性」がひそんでいたと著者は見る。
 立原は壮大な「産業建築」「公共建築」との対比で、「住宅建築」を文章表現としての「エッセイ」になぞらえ、自らの仕事を「住宅/エッセイ」に見いだしたが、これは、しばしばそう誤解されたような自己卑下ではない。むしろ、既成の建築・文学の枠組みでは軽視されがちな領域こそを、人生の根幹にかかわるものとして追求したのである。
 彼の図面は「うすぼんやり」とした印象で、野心や自己顕示欲がないし、自分のために設計した住宅は、「突っ立っているのではなくごろんと寝ころんでいる」ようにしか見えないとしつつ、そこを著者は評価する。立原は廃墟(はいきょ)の美学をも論じ、建築は製図の瞬間から「ただたえまなくくづれ行くために作られた」とさえした。国策に乗って巨大建築を競った同世代や後輩らとは、いかにも対照的である。
 本書では、自ら著名な建築家で、エッセイでも知られる著者が、こうした立原論の上に、ル・コルビュジエら近代建築史上の人物を次々に評していく。その彼を打ちのめしたのが、津波の映像や破壊された原発の姿であった。
 「いまだ廃墟になれず、かといってもはやもとにも戻れない」状態で、死ねずに「不気味な発熱さえ帯びている」原発。建築でも建物でもなく、何と「建屋」と呼ばれる、デザインもされない「哀れ」な建造物。その背後にある、技術文明の自己運動としての「テクノニヒリズム」にどう抗していくべきなのか。本書のカバー画は、著者による原発石棺化計画である。「寝そべる」ことも廃墟となることもままならない建築の現在がそこにある。
    ◇
 みすず書房・4104円/すずき・りょうじ 44年生まれ。建築家。早稲田大教授。著書『建築零年』など。

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