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カフカらしくないカフカ [著]明星聖子

[評者]柄谷行人(哲学者)

[掲載]2014年08月24日

[ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■「裏切り」でなく「暗黙の契約」

 カフカは友人マックス・ブロートに、遺稿は「のこらず、読まずに焼いてくれ」というメモを残したが、友人はあえてそれを出版した。その結果、カフカは20世紀を代表する作家となった。この有名なエピソードは、カフカの慎(つつ)ましさ、潔癖さを物語ると同時に、彼の才能を見抜いたブロートの見識と友愛を物語る。それに対して、作家ミラン・クンデラがブロートを批判し『裏切られた遺言』という本を書いたことがある。しかし、クンデラは、カフカに関しては何の疑念も抱かなかった。実際は、カフカは出版を期待しており、ブロートもそれを承知していたのではないか。そもそも本当に焼却したいのなら、自分でやればよいではないか。
 そのように疑ったのは、おそらく本書の著者が初めてであろう。著者は「カフカらしくない」カフカの姿を、先(ま)ず、彼が29歳で出会い婚約したフェリス・バウアーへの書簡の中に見いだした。カフカは『判決』をフェリスに捧げただけでなく、生前出版した本の約半分を、この時期、2カ月半の間に書いたのだ。しかし、著者の詳細な分析によれば、彼の手紙は、繊細、嘘(うそ)がつけない、商売が下手、弱気、というカフカのイメージが虚偽だということを示している。たとえば、カフカはビジネスに強い野心を抱いていたのである。
 しかも、フェリスは別の人物と結婚して以後も、カフカとの全書簡を保持し公開した。これも「裏切り」とはいえない。ブロートの場合と同様に、もともと、カフカとの間に暗黙の契約があったように思われる。彼らは、カフカの書くものが残ることに協力したのである。このような「協働」がどうしてありえたのか。文学に関与する者らの言動はすべて永遠に残る。確かに、「文学」が宗教の代わりをした時代があったのだ。本書はむしろ、そのことを想(おも)い起こさせる。
    ◇
 慶応義塾大学出版会・2592円/みょうじょう・きよこ 埼玉大教授。『新しいカフカ—「編集」が変えるテクスト』。

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