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史料としての猫絵 [著]藤原重雄

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2014年08月31日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■芸術の深淵への知的な冒険

 ここに1枚の猫絵がある。リアルに描かれた猫は白地に黒いぶち。首には赤くて太い首輪を結び、金の鈴を下げている。からだを丸まるとかがめたまま静止し、顔をかしげて右ななめ上方を注意深くさぐっている。耳とヒゲはぴんと立っていて、視線の先にある何ものかに集中している。
 「かわいい」で済ませてはもったいない。まっとうな好奇心をもつ大人には、たくさんの「知りたい」が生じるはずだ。だれが、いつ描いたのか。だれに向けて、なにを目的として描いたのか。こうしたモチーフにはどんな歴史的背景があるのか。それから何より、猫が見つめる先には何があるのか、等々。これらを考え・調べる営みが、絵画史という学問ジャンルに他ならない。
 芸術には素直な心で接するべし、との意見がある。能書きは必要ない。それは往々にして、真の理解をそこなう要因となる、という。あなたの感想ってライナーノートのコピーね。コンサートの帰路、妻にそう笑われた経験をもつ私は、かつてその意見に一定の理を認めていた。
 だが今は、それは違う、と断言したい。作品と向きあうべき自分とは、実は情報の積み重ねに他ならない。感情や感動もまた、自己の中の理論だとか体験を経由して、相対的に生み出される。だから、芸術の深淵(しんえん)をうかがおうとしても、自分以上のものを見て取るのはむずかしい。その代わりこちらが勉強を続ければ、奥行きのある作品はきっとそれに応えてくれる。
 その時にどういう手順をふめば良いか。どういう性質の考察を重ねるべきなのか。本書は猫をテーマに、それを的確かつ楽しく教え示す。しかも1枚の猫絵からスタートして、さまざまな猫たちに会わせてくれる。コンパクトでありながら、豊富な図版を駆使していて(著作権の処理がさぞたいへんだったろう)、知的な冒険へのすてきな招待状に仕上がっているのだ。
    ◇
 山川出版社・864円/ふじわら・しげお 71年生まれ。東京大学史料編纂所助教(日本中世史)。

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