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テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか? [著]ケヴィン・ケリー

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2014年09月07日

[ジャンル]科学・生物 IT・コンピューター

表紙画像

■慣性で組織化するテクノロジーの系

 最近テクノロジーについていけないと感じることが増えてきた。過剰とも思われる便利さや本当に必要なのかと首を傾(かし)げたくなる複雑な機能。それゆえ煩雑になる日々。その進展は今や使用者である人類のニーズを超え、進展自体が自己目的化しているのではないかと疑いたくなるほどだ。
 この直観はあながち的外れでもないらしい。テクニウムとはテクノロジーを生み出す巨大な系(システム)を言い表した著者の造語である。テクノロジーは発明が発明を生み出すという自己生成の鎖の輪で互いがつながっており、それらが複雑に網目状に絡みあうことで全体的に鵺(ぬえ)のようなものと化した運動体がテクニウムだといえる。
 本書の白眉(はくび)はこのテクニウムの運動原理を宇宙や生物という別の系のそれと同列に論じているところにある。宇宙の成長や生物の進化には特定方向に収束しようとする傾向があり、その慣性に従って自律的に組織化すると著者は説く。同様にテクニウムも内部の慣性に従って自己組織化するため、テクノロジーもそれに従い、あらかじめ決まっていたかのように発現する。つまり今この世界があるのは偶然ではなく必然であり、仮に千年、時計の針を戻したとしても人類は似たような車や携帯電話を発明し検索マシンにピコピコ文字を打ちこむだろうというのだ。
 だとすると人類は将来もテクノロジーを制御できないということだろうか。確かに近年、記憶や判断、人間関係という脳の領域に属することまでテクノロジーに任せた結果、人間の生き方からは重々しさや手応えのようなものが急速に失われつつある。それでもこの流れは止められないし、止められないことに我々自身も薄々気づいている。そういう世の中になることを望むと望まざるとにかかわらず、世の中はそういう方向に向かうのだ。そして本書によると、それはテクニウムが望んでいるからということになる。
 本書の主張には科学的ではないという批判もあったという。また著者がテクノロジーに寄せる絶対的な信頼も評価が分かれる点だ。テクノロジーは我々の選択肢を増やすのだから、それが人間自身も良くすると著者は断言するが、テクニウムが指向する方向性に引きずられることで我々の選択肢は事実上狭められるし、それに個人の能力や感性の劣化は避けられないと反論することも可能だろう。それでも世の中がなぜそうなのかを説明するのが良書なら、本書は圧倒的な洞察でその条件を満たしている。構造を解き明かしたうえで、それでお前はどうするのだと問いかけてくるのだ。
 瞠目(どうもく)に値する本だ。現代人必読といっても差し支えあるまい。
    ◇
 服部桂訳、みすず書房・4860円/Kevin Kelly 著述家・編集者。1993年に雑誌Wiredを共同で設立し、99年まで編集長。現在、ウェブサイトCool Toolsを運営。著書に『ニューエコノミー勝者の条件』『「複雑系」を超えて』など。

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