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嘘と絶望の生命科学 [著]榎木英介/〈科学ブーム〉の構造 [著]五島綾子

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)

[掲載]2014年09月14日

[ジャンル]科学・生物

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■今や日本の科学は、金もうけに堕した

 ピペド。
 この耳慣れない言葉が、今の日本における生命科学の研究現場を象徴していると、榎木英介は言う。
 「ピペット奴隷」の省略形だ。大学院生や大学院を終えた後の研究員(ポスドク)たちが、朝から晩まで、黙々と実験道具のピペットを使って実験にいそしむその姿を、奴隷になぞらえた表現である。
 国からの多額の研究費を獲得することに血道を上げる教授。その下で成果を出すために奴隷のように使い捨てられていくピペド。生命科学は労働集約型の研究活動なので、手を動かせば動かしただけ、成果が出る。だからピペドたちは、朝から晩まで、酷使される。実験室には監視カメラが設置され、トイレに行くのも申告制。
 もちろん、こんな研究室ばかりではない。良心的に知的活動に邁進(まいしん)している教授も大勢いる。だが、今の日本の生命科学を取り巻く構造そのものが、産業化という名の金もうけのタネを見つける作業に堕していると、榎木は喝破する。
 捏造(ねつぞう)と剽窃(ひょうせつ)と自殺で世の話題を呼んだSTAP細胞騒動は、この業界の闇の深さを垣間見(かいまみ)せてくれた。だが、あれは決して例外ではない。鬼子かもしれないが、このような構造の産物のひとつに過ぎない。そして、製薬会社と大学医学部の癒着事件など、もっと根深い悪を体現している事例も存在する。
 生命科学だけではない。五島綾子は、化学業界においても、似たようなバブル現象と科学ブームが生じてきたことを、丹念に示している。古くはDDT、最近ではナノテクノロジー。ナノテクを化学史の文脈に位置づけたのは本書のユニークなところだが、ここでも生命科学と同じく、自然現象の謎を追究するという知的好奇心が科学を駆動しているのではなく、産業界や政治の動きが、学問領域の隆盛(と衰退)を決定づけている。
 興味深いのは、榎木も五島も、それぞれの領域の動向と、福島第一原発事故との共通性を指摘していることだ。榎木は、生命科学の現場が原子力業界と同じように「ムラ化」していると言い、五島は戦後日本の原子力政策は科学ブームが長期間続いていたようなものだと見立てている。
 両書は、このような泥沼から抜け出るための方途も示してくれている。榎木は、市民が自宅で生命科学研究をおこなう「DIYバイオ」によって、科学の知的喜びを取り戻すことを提案する。五島は、DDTの害悪を世に知らしめたレイチェル・カーソンの振る舞いに範をとることを示唆する。
 3・11に続いてSTAP騒動で、日本の科学界の信用は地に落ちた。この二冊が、そこからの脱却の導きの糸となることを祈る。
    ◇
 『嘘と絶望の生命科学』文春新書・864円/えのき・えいすけ 71年生まれ。近畿大学医学部病理学教室講師、病理医。『〈科学ブーム〉の構造』みすず書房・3240円/ごとう・あやこ 元静岡県立大学教授(コロイド化学、化学史、科学技術論)。

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