書評・最新書評

「肌色」の憂鬱―近代日本の人種体験 [著]眞嶋亜有

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2014年09月28日

[ジャンル]人文

表紙画像

■外面を通して創造した「近代」

 本書にはしばしば、「(近代日本の)エリート層」という語が登場する。たとえば「日本人の背丈や体格、容貌(ようぼう)や肌の色を醜悪視する傾向は、その後(注・日露戦争後)、エリート層のあいだで長きにわたり、懸念され続けていく」といった具合だ。著者が「日本人の人種的劣等感に直面した代表的存在」とみる漱石から遠藤周作まで日本の代表的知識人や思想家、官僚が外国留学体験を通していかなる人種差別に出あい、そこから何を学んだのかを具体的に分析していく。
 外面を通して日本人は、いかなる形での「近代」を創造しようとしたのか、著者の関心はその一点に絞られる。
 日清戦争後の内村鑑三などがアメリカ社会でどういう態度で接せられたのか、とくに中国人との対比の中で論じられる。内村の米国体験は「文明」と「人種」の拮抗(きっこう)を具現化した先駆的存在という見方が説得力をもって提示される。中国人への蔑視が日本人に転化されるが、多くはそれを否定することにより厚遇を得ようとする。しかし、外交官石射猪太郎のように西洋社会では中国の存在が大きいと見抜き、「客観性と精神的ゆとり」のバランスのとれた考えを採る者は少なかったとの指摘は重要である。
 体格の貧弱な日本人、逆に小柄な欧米人が日本に根づく例(エルヴィン・ベルツなど)も語りつつ、人類史は外見により編まれたとの指摘も興味深い。
 近代日本が「脱亜」をめざす理由は、西洋社会のアジア蔑視を意識してそこからの脱却を目ざしたこと、同時にそういう西洋は「完全なる他者」であるのに、それを権威化して近代を目ざした自己否定の空虚さにあると論じる。
 「日本が日本であり続けるために日本を否定しなければならない」との論は新鮮であり、魅力的だ。本書はその種の知的刺激が多い点に特徴がある。
     ◇
 中公叢書・2484円/まじま・あゆ 76年生まれ。ハーバード大アソシエイト。近現代日本社会・文化史、比較文化論。


関連記事

ページトップへ戻る