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マラソンと日本人 [著]武田薫

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2014年10月19日

[ジャンル]社会

表紙画像

■明治以来の「走る」異端児たち

 マラソンと駅伝。どちらも日本人には人気の高いスポーツである。前者は明治末期から、後者は大正期から国内で大会が開かれている。
 しかし、前者はオリンピックやボストンマラソンなどが目標となるのに対して、後者は国内で完結している。前者は個人、後者は団体という点も異なる。両者の違いに目配りしつつ、明治以来の「走る」歴史を、膨大な資料やデータを通して明らかにしたのが本書である。
 もちろんオリンピックには、日本という国家の影がまとわりつく。だが本書に登場するマラソン選手の多くは、国家や組織に反抗し、自己流を貫く異端児であった。例えばベルリン大会で金メダルを獲得した孫基禎は、君が代を聞きながら悲しみの涙を流した。メキシコ大会で銀メダルを獲得した君原健二もまた、必ず日の丸を揚げると意気込むコーチに反発した。逆に東京大会で銅メダリストとなった円谷幸吉は、「島国の重い大気」に押し潰され、メキシコ大会直前に自決した。
 著者が史上最強と認める瀬古利彦も、組織に媚(こ)びない徹底した独立心のある中村清と出会うことで強くなった。そしてポスト瀬古の一番手となる中山竹通(たけゆき)こそは、誰にも追求できない方法論を確立させたランナーであった。
 だが、1992年のバルセロナ大会を最後に、日本の男子マラソンは低迷期に入る。その背景として、著者は箱根駅伝やニューイヤー駅伝に代表される駅伝の隆盛を指摘している。選手自身が、「外」よりも「内」を優先させる傾向が強まったのだ。これは昨今のナショナリズムの台頭や海外留学の減少とも無縁ではないように見える。
 この閉塞(へいそく)状況を打破する選手として、著者は実業団に属さない川内優輝や藤原新(あらた)の名を挙げる。日本マラソン史における異端児の系譜が途切れたわけではないのが、せめてもの救いといえようか。
    ◇
 朝日選書・1728円/たけだ・かおる 50年生まれ。スポーツライター。テニス、野球等も取材。『ヒーローたちの報酬』

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