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離陸 [著]絲山秋子

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2014年10月26日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■時空をも超え、はるか遠くへ

 絲山秋子の小説はいつも、始まりからは想像もつかないほどの遠くへと、読者を連れてゆく。その「遠く」を示すのは、登場人物の関係の変化であったり、意想外のストーリーであったり、エモーショナルな高まりであったりする。彼女の最新長編は、それら全てに加えて、時間と空間の「遠く」をも、その内側に取り込んでみせた意欲作である。
 国交省の若きキャリア官僚である「ぼく」は、群馬県の矢木沢ダムに勤務している。ある冬の夜、湖が凍結して職員以外は誰も居ない筈(はず)のそこに、巨躯(きょく)の黒人が突然やってくる。イルベールと名乗った男は「ぼく」に話しかけ、女優を探していると言う。「女優」と呼ばれているのは彼の昔の恋人。五島出身で、印象的な美人だった。だが、一方的に別れを告げられて以来、もう何年も消息を知らない。マルティニーク出身のフランス人だというイルベールは何故わざわざ「ぼく」を訪ねてきたのか。「女優」は今どこにいるのか。何もかも不可解だが、パリのユネスコ本部に「ぼく」が出向することになり、物語は急激に走り始める。
 この作品が書かれたきっかけは、伊坂幸太郎の「絲山秋子の書く女スパイ物が読みたい」という要望だったという。だが、この言葉から予想されるような内容とは全然違う。パリで「ぼく」はイルベールと再会し、女優こと乃緒が失踪した経緯を知る。しかしそれは俄(にわか)には信じ難い話だった。暗号文書に記録された1930年代のパリで暗躍した謎の東洋人女性。乃緒が残した息子ブツゾウ。無差別連続殺人事件。次から次に不可思議な出来事が起こり、やがて舞台はパリから熊本県八代市に移動する。
 めくるめく展開の果てに待っているのは、『離陸』という題名に込められた、深く切ない意味である。読者はこの小説に乗せられて、はるか遠くまで来てしまったことに気づく。
    ◇
 文芸春秋・1890円/いとやま・あきこ 66年生まれ。作家。06年、「沖で待つ」で芥川賞。

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