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現代の超克 本当の「読む」を取り戻す [著]中島岳志、若松英輔

[評者]赤坂真理(作家)

[掲載]2014年10月26日

[ジャンル]人文

表紙画像

■歴史の現場へ立ち返る批評家

 ここ数年、気鋭の批評家と言われる人の本をふと手に取り、たましいが震えるような体験をすることが多くあった。何が起きていたのか。本書を読んで、理解した。私は、「批評の再生」というべきものに立ち会っていたのだと。
 「批評」は誤解や過小評価をされやすい。創作に対して二次的で、対象に対して距離のある批判である、というふうに。ちがう。すぐれた批評家とは、あるものが生まれた地平に身を置き、共振し、今こことして生き直し、ゼロから言葉を紡ぐ人々である。昨今そういう批評家が、多く登場、というより「再来」した。なぜ、今なのか? あえて言うなら、今ほど彼らが必要とされている時代はないからだろう。そこには、個人の想(おも)いや能力を超えた大きなはからいがあるようにも感じられる。
 「今」とは? ——急ごしらえの近代国民国家が侵略と植民地化の恐怖に怯(おび)えつつ、恐怖を振り払うには同じ恐怖を実行すること、とばかり戦争に突き進み、それが大量喪失で終わると世間は手のひらを返した、しかし世間とは、自分たち自身である。日本人は、自らを語ることができなくなった。歴史に自らを位置づけることができなくなった。そして忘れたふりも綻(ほころ)びはじめた頃、大震災と大津波とフクシマの原発事故は起きた。
 本書は、小林秀雄らが1942年に行った座談会「近代の超克」に由来する。「近代とは、社会の有機性を担保する超越的価値まで失い、自己の存在意義を確認できなくなった時代」が出席者を貫く問題意識だった。世界的な問題だが、日本人にこそ、死活問題だったろう。私達(たち)は東洋にも西洋にも国体にも天皇にも、自分を結びつけられない。
 近代は超克も血肉化もされていない。だからこそ、2人の著者は歴史の現場に立ち返った。そのような営為だけが、死者と私達、そして未来の他者を、出会わせる。
    ◇
 ミシマ社・1944円/なかじま・たけし 75年生まれ。北海道大准教授/わかまつ・えいすけ 68年生まれ。批評家。

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