書評・最新書評

フリープレイ 人生と芸術におけるインプロヴィゼーション [著]スティーヴン・ナハマノヴィッチ

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2014年10月26日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■やっていることに成りきる

 「新しいものの創造は、知性によって達成されるものではない。内面の必要性から、直感的におこなわれる遊び(プレイ)によって達成される」(ユング)
 本書は人生と芸術におけるインプロヴィゼーション(即興)のこころの内側を発掘する即興ヴァイオリニストの探究の書である。
 著者は創造時に即興的体験によって、音楽的行為の範疇(はんちゅう)を超えたスピリチュアルな領域に自己を見いだし、インプロヴィゼーションこそ創造の「マスターキー」と考えた。そして全ての芸術がインプロヴィゼーションを核としていることに気づき、創造を「至上の遊び」と規定する時、制約から解放され、自由な精神を獲得する。
 芸術が創造される時、私たちは子どもが遊ぶ時のように夢中になり、私が消える必要があり、自己と環境が一体化する。この瞬間、私たちは知性や知識から完全に解放された〈サマディ(三昧〈さんまい〉)〉状態になり、恍惚(こうこつ)と感覚の覚醒を体験することになる。
 私がキャンバスに向かい、一種の陶酔を覚える時、頭の中から言葉が追放され、ものが考えられない状態を味わい、身体的な技術のみの動作に体をゆだねることがある。この瞬間は描く目的も手段もなく、筆先が勝手にキャンバスと戯れているのを、他力と自力の中間で見つめている。創造意識からも離脱して、やっていることに成り切っているとしか言いようがない。
 このような瞬間、インプロヴィゼーションは〈自由〉になるために「限界を越える手段として形式や制限を使」うと著者は言う。無意識の享受を恐れる者にとってはインプロヴィゼーションは危険である。しかし失敗こそ芸術神の恩寵(おんちょう)でもある。
 著者は「失敗の力は、創造を阻むものの枠組みを変え、それらを逆転させることができる」と語る。創造的側面に限らず、人生においてもインプロヴィゼーションの力は働く。
    ◇
 若尾裕訳、フィルムアート社・2808円/Stephen Nachmanovitch 米国のヴァイオリニスト、作曲家、詩人。

関連記事

ページトップへ戻る