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突破者 外伝―私が生きた70年と戦後共同体 [著]宮崎学

[評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)

[掲載]2014年11月02日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■自由と共同体の間で揺れて

 共同体は自由としばしば対立する。家族でも地縁共同体でもいい。共同体はたしかに個人に居場所を与えてくれるし、いざというときには互助的な精神によって個人を守ってくれる。ただ、その一方で共同体はさまざまな拘束を個人に課してくる。介護や子育てのために多大な献身が求められるのはその一端だ。理由のよくわからない理不尽なしきたりもあれば、わずらわしい人間関係もある。
 本書はそんな共同体をなんとか現代に蘇生させようとする試みに貫かれている。著者は一九四五年にヤクザの親分の子として生まれ、学生時代には共産党のもとで左翼運動に身を投じ、さらにその後はかたむいた家業をたて直すために実家にもどった。ヤクザといういわば古い生存共同体と、近代資本主義を乗り越えるためにつくられた闘争組織という、市民社会からみれば両極端な二つの集団に著者はどっぷりと浸ってきたのである。その経験をふりかえりながら、著者は市民社会の欺瞞(ぎまん)や限界を指摘し、新しい共同体の可能性について考察を深めていく。
 著者のその経験は、戦後の日本社会の歩みと大きく重なっている。それは一言でいえば共同体が解体されていく過程であった。なぜ共同体は解体されてきたのか。それは、わずらわしい共同体の関係に頼らなくても人びとが生存していけるほど社会が豊かになり、福祉などの社会制度もそれに応じて整えられてきたからだ。自由で自立した個人、という市民社会の原理の勝利である。
 共同体の可能性を最大限肯定しようとする著者もまた、その両者のあいだで揺れてきた。その自己の姿を著者は終章で「中途半端」だったと総括している。これまで「突破者」として世間の偽善と対峙(たいじ)してきた著者が、内にかかえる忸怩(じくじ)たる思いを吐露するその箇所は、本書のなかでもとりわけ心を打つ。
    ◇
 祥伝社・1728円/みやざき・まなぶ 45年生まれ。作家。『突破者』『続・突破者』など。


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