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日本人の身体 [著]安田登

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2014年11月02日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■境界が曖昧、「能」で自在に展開

 24歳、上京するなり業界の先輩が喫茶店で「注文、何にする?」と聞いた。「何でもいいです」と曖昧(あいまい)に答えたら「東京では白黒はっきりすべきだ」と一喝を食らった。もし今、同じ質問をされても同じ答えをするだろう。
 何でもいい時は何でもいいのよ。そして東京も、知的近代主義みたいなのもヤだなと思った。曖昧さは僕の持ち味として白黒の境界を生き、創造を反復させてきた。曖昧でいることは僕にとって最も自由な状態で、白黒はっきりさせることは僕の中から遊びを追放することであり、創造を否定することにもなる。
 さて、幸運にも本書に出会い、目からウロコ。曖昧さを日本の特性として日本人のおおらかな身体観と捉え、自分と他者、生者と死者の境界線も曖昧という。著者は能楽師として能の世界に例をとりながら幅広い領域で新しい現代の古典的身体論を展開する。
 能も如何(いか)に境界が曖昧である芸能であることか。シテとワキの間に流れる時間の境界が次第に曖昧になり、同時に観客の時間も意識と無意識の怪しい境界に誘われる。このような時間の境界体験は西洋のものではない。
 さらに能が「こころ」の芸能ではなく「思い」の芸能であり、表層の対立する「こころ」ではなく深層にある思い、つまり「共話」のもつ力であると、著者は読者に語りかけてくる。
 さて、日本人の身体とは?古典が語る日本人の身体は「からだ」を死体とみた。一方、生きている身は心と魂とひとつのもので、さらに「こころ」でも「思い」でもない深層にある「心(シン)」を手に入れれば自由自在に宇宙と戯れ、差異を超えて、心も行いもない状態へ導かれるという。
 また人は老境に至るにつれ曖昧を生き、「老い」を「生(お)い」と考え、成長ととらえる。老齢になると確かに自他の区別も曖昧になりますね。
    ◇
 ちくま新書・886円/やすだ・のぼる 56年生まれ。下掛宝生流能楽師。『身体能力を高める「和の所作」』。


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